あの目の男
山ちゃん山ちゃん、あの人だよ
俺と紗奈がバスを降りると
空はすでに茜色から群青に染まりつつあった
住宅街の片隅、通りの向こうで
窓から煌々と灯りが漏れている
木造二階建て
一階部分が店舗になっていて
居酒屋になっているようだ
その窓ガラスの向こう
何やら男性とおぼしき人物が立っていた
今日は、ここにおじゃまする
紗奈の話によるとこの店は
30代の男がひとりで
切り盛りしているらしい
その男が、あらゆる意味でヤバい
山ちゃん、一度店に行こう
料理関連のフリーランスで活躍している友人
紗奈は、こういう居酒屋に詳しくて
間々、誘われることがある
ちなみに紗奈は、俺のコーチングの教え子だ
頭の回転が速い紗奈は
コーチングという枠にとらわれずに
話術のひとつのスパイスとして取り入れた
なので、高額なセミナーを修了した後も
自らをコーチとは名のっていない
コーチングやってます、というだけで
気嫌いする人が多いので賢い選択だと思った
そして、このお店
そんな紗奈が言うくらいだから
相当、ヤバいんだろう
これは行くしかないな、と思ったのだ
いらっしゃい、あぁ紗奈ちゃんまいど
先ほどの男性が気さくな声をかけてきた
店内は、先ほど通りから見えたガラス窓ごしに
4人掛けのボックス席が2つ
あとはカウンターになっていて
座面がくるくる回る円椅子が6つか7つ
なるほど
この居酒屋は居抜きで
前は喫茶店だ
ボックスがソファで
エンジのベルベット生地とは
なんとも昭和を思わせる
そのカウンターの中に
身長160そこそこの背丈
羨ましいほど生え沸る真っ黒な髪の毛
愛想があるようなないような顔
俺にはどこにでもいる兄ちゃん
にしか見えなかった
紗奈と俺は窓越しのボックス席に腰掛けると
席からちょうど
俺たちが降りたバス停が見えた
ほどなくして
その男がおしぼりと
メニューのブラックボードを持ってくる
紗奈の誘いでくる飯屋の時は
紗奈チョイスに任せると決めている
紗奈も分かっていて
俺にメニューを見せてくることはない
んー?なにこのロソエって
紗奈がオススメにある
ロソエとは何かを聞いた
ロソエ?聞いたことがない
俺も気になってボードをのぞき見した
ん、まぁロソエ?って書いてあるのか
男は紗奈の問いに、ボードを見直した後
ちょっと笑って
それはコンフィ
今出来上がったばかりだよ
と言った
紗奈は、チラッとこっちを見て
俺を確認すると
じゃあそのロソエ(笑)
いやいやコンフィと
生ビール2つでよろしく
と言った
さて
我々はこれから
この男を肴に酒を飲むわけなのだが
この狭い店内では俺たちの声は丸聞こえだ
店内にまだ他の客はおらず
この男も、聞いてない風で
俺たちの話にそば耳を立てているのが
分かりやすくその後ろ姿から伝わってくる
なので、紗奈とは事前に
この男に関連する話に関しては
LINEチャットで
その他の話は、普通に会話することにしていた
笑わない笑わない
俺たちは、たとえ心の中で笑い転げても
表情に出して笑うことは、決してない
お待たせ、生ビールとコンフィ
そう言って男がカウンターから出てきた
おっとっと
ツッコミどころが満載で
ついついLINEに夢中になってしまう
急いでスマホをテーブルに伏せ
2つ並んで置かれたビールのひとつを
紗奈に渡した
すると紗奈がニヤケ顔でヒソヒソと
何に乾杯する?
と言ってきたが、俺は返事はしなかった
かんぱい、クフェン♫
カチカチに凍ったジョッキを互いにぶつけ
ひと口目でほぼ半分飲み干す
ッ、、、かぁぁぁぁ!でら美味い!
さて、それではロソエ
いやいやコンフィを頂いてみよう
ぱり、、、
なななんと、皮がパリンパリン
低温調理とは思えない食感
そして肉のジューシーさ
2人は食べたと同時に顔を上げ
目を合わせて
うんまい!
の、アイコンタクト
山ちゃん:
マスター、これめちゃくちゃ美味い
思わずあの男に
愛のフィードバックしてしまう
男は、頭をちょいと下げて
少し間を置いてから
鼻で笑った
おぃリアクション、おかしくねが?
その後、紗奈の顔ききもあり
メニューには載せていない
鹿のほとんど生ローストもも肉を
食べることになった
俺はなぜか店内を見まわしてから
恐る恐る
鹿のほとんど生もも肉を口にした
あーん、もぐもぐ、も?
お
お
おおお?
おおおおおおおおお!
溶けた!
なななんとmelty!
いっぺんの臭みもない
今まで食べた高価な牛肉よりも美味しい
もちろん肉の味はしっかりしている
昔、カフェのオーナーからもらった鹿肉
あれは何だったんだ
血生臭くて
パッサパサの形成肉か!?と思ってたのに
この鹿肉、なんて瑞々しい
山ちゃん:
マスター、これめちゃくちゃ美味い
また思わず、つい、無意識に、どうしても
愛のフィードバックをしてしまう
男は再び、そりゃ当たり前だろ
くらいにフフっと笑っていた
それだよそれ
そのリアクション、おかしくねが!?
そして2人は生ビールのおかわりを頼んだ
その時、燻製枝豆も持ってきて
男がテーブルに置こうとした時
俺はその男の目玉をやや斜め上に見る、すると
な"ッ!?
!!▷〄!!⚠️!!〄◁!!
驚きのあまり
耳からキーンという甲高い耳鳴りがし
無意識のうちに息を止めてしまっていた
この空間だけ時間が歪んでる
なんてスローモーション
だって、この男
だって、この男
目玉が、恐ろしく真っ黒!
下から見上げた両目が
燻製枝豆の皿を置くに従って
左の目玉側の横顔に変わる
その左目玉
し、漆黒ッ!
そしてまた
その横顔は元の位置の高さに戻り
俺が再び見上げた時の両目玉
瞳に、光のツヤすらなし!
俺の語彙では言い表せない
この世の淀みを凝縮させたような目玉だ
紗奈は、この目玉のことを言ってたのか
すると男は、その漆黒の目玉で
この鹿肉、2日前に俺が撃ってきたんです
と、どこか誇らしげに言った
がしかし
その言葉がサイコで気味が悪くて
背中に寒気が走った
話はそれだけじゃない
聞きたくもない低いガラガラ声の男は
ハントに夢中になりすぎて
川を渡ってしまい
帰り一頭分の鹿肉を抱えて川を渡れず
このもも肉のみ背負ってきたというのだ
ここにきていきなり雄弁
男はこの他、2人が知りたくもない
ハンター情報をテーブルの上に散らし
再びカウンター内に戻っていった
たとえば、鹿打ちは、血ぬきが命らしい
へー
まったく、想像できません
笑わない、笑わない
絶対に、わ、ら、わ、な、い
www極w微w笑www我w慢w我w慢www
俺たちは心の中で笑い転げたとしても
表面に出して笑うことは
決して、ない
www極w微w笑www我w慢w我w慢www
俺はそれからというもの
チラチラと男の目を覗き見た
いや、見てしまうのだ
吸い込まれてしまってはいけないと
無意識で分かっている
その目玉が本当に穴ぼこなのかどうか
指を刺したくなる衝動を抑えたのだった
◯◯くん、お勘定、お願いします
紗奈がそう言って
トイレに立った
ほどなくして男は
調理の手を休め会計をしているようだ
男は伝票に何やら書いている
きっと、想像を超えた汚い数字の羅列なのだろう
1人になった俺は目のやり場をなくして
窓の外を見た
気づけば雨が降っている
街灯の灯りや
通りを過ぎる車のヘッドライトで
この店内よりも外の方が艶やかに感じた
なんなんだあの男
なんなんだこの雰囲気
今吸ってる空気は、本当に酸素か?
そうだ、そういえば俺としたことが
目玉に囚われすぎて
気づかなかった
この店も相当、気味が悪い
俺は霊感がある方だ
がしかし、そんな話ではない
あのブエノスアイレス行きの目玉のせいだ
そして
その後、8000円ほどの料金を折半し
俺たちは店を出た
扉を出た瞬間
雨に濡れた空気が体に吸い込まれてくる
喉に冷たさを感じると同時に
外界とはこんなに
新鮮な空気に満たされているのかと
開放感に酔いしれてしまった
紗奈よ、この誘いは俺の貸し
次の店、オマエのおごりだ
りんごん♫
紗奈のスマホにLINEが入る
バス待ちの2人
シャーという車のタイヤの音を
幾度となく見送った
かぶったパーカーのフードが
霧雨で湿っている
しっとり濡れた髪の紗奈が
スマホの画面を俺に見せてきた
じゃーねー
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