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右に暮れて

4年前に、忠おじちゃんは免許を返納した
81歳だった

俺は、忠おじちゃんに小さなころから
色んなところへ連れて行ってもらった

春には山の麓の小学校で
桜を見ながら弁当を食べたし
京都にもみんなで行ったし
鴨川シーワールドにも行ったっけ

自分が運転するようになって
はじめて分かったことがある

おじちゃんは
運転が凄まじく下手だった

運転中、おばちゃんが綺麗な花を見て
「あ」というと

急ブレーキ

従妹(おじちゃんの娘)が看板を見て
「あ」というと

急ブレーキ

そこが国道であっても
すぐに車が急停止してしまうのだ

なので、軽く認知症の疑いがでた途端
従妹(おじちゃんの娘)の強い希望により
半ば強制的に返納が決まったのだ

口には出さないが
俺もよかったと思っている


今年、健太郎おじちゃんが免許を返納した
84歳
いい頃だと思う

健太郎おじちゃんとは
忠おじちゃんほど仲良くないが
それでも俺をかわいがってくれた

葬式の時、おばちゃんと2人で
我が家に
泊まりに来てくれたことがある

その時、改めて思ったのだが
健太郎おじちゃんは、耳がほとんど聞こえてない

俺が横からビールだよと言って渡しても
おばちゃんが気づいて
おじちゃんを小突くまで気づかない

おばちゃんの話では
ほとんど会話は成り立たないが
不思議とカープの野球解説だけ
聞こえているそうだ

そんなおじちゃんの車にも
乗ったことがある

今でも鮮明に覚えているが
忠おじちゃんよりも
下手くそだった

というよりも、すこぶる怖かった

健太郎おじちゃんは
どうしてなのか
右車線しか走らない

前の車が右折するなら
おじちゃんの車が直進なら
左車線に移らなければならない

なぜなら、そのまま進むと
前の車にぶつかるからだ

そのため左車線に車がいないか
確認作業が必要になるのだが
健太郎おじちゃんに
その作業はほぼない

ウィンカーを出せば
いようがいまいが関係ないらしい

しかも、クラクションを鳴らされても
肝心のクラクションが聞こえないので
何の脅しにもなっていないのだ

そして、すぐさま右車線に戻る

とにかく右車線が、好きなんだと思う

みんなに支えられて60年
よく死ななかったな、と
勲章を与えたいくらいだ

そんな健太郎おじちゃんも
みんなのススメで
免許を返納することにした

俺だけではない
3親等以降の血族・姻族までもが
ホッとした

わが父も

遅かれ早かれそんな日が来る
この時代の人たちは
車社会の礎を作った人たち
と言っても過言じゃない

男が自分の車を運転する

彼らにとっては
車がステータスだった

それを返納することは
とても残酷なことだと分かっている

彼らの意向と事故を天秤にかけ
おじちゃんたちは
つらい決断をしたはずだ

男は行動を制限されると、脆い
呆ける、とは
見境がつかなくなるだけじゃなく
そうやって
必死で手にしたものを
手放した時に訪れる
自分の姿のことなのかもしれない

おじちゃんには今度あった時
どんなに大声で声かけても
振り向いてくれないかもしれない

世代は確実に移り変わっている

山ちゃんのおじちゃんが
いなくなったような気分になって
切ない気持ちになった

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