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ヨーロッパの田舎(第1章.ツアーでは味わえない旅の楽しさ)

 私がヨーロッパを旅していて、ここは田舎だなぁ…と感じることがある。もちろん、良い意味でも悪い意味でもない。どういうことかと言うと、例えばパリ。ここは誰しもが認める大都会である。色々な人種がいて、そこに住む人、働く人、そして観光客も多い。昔はフランス語しか通じない街と揶揄されたこともあったが今では当たり前のように英語を喋ってくれる。また、バリアフリー化が進み、初めてパリを訪れる外国人にとっても公共交通機関などが利用しやすい街である。

 一方、田舎だなぁ…と感じる所とは、この逆である。比較的似た顔立ちの人ばかりで、英語が通じにくい。公共交通機関やレストラン、宿などを利用する時、ちょっとしたエネルギーを要する。私が田舎だなぁ…と感じるのは、このような所である。繰り返すが、良い意味でも悪い意味でもない。そして私がハンガリーのエゲルという街を旅した時、まさに田舎だなぁ…と感じたのである。

 私はハンガリーの首都ブダペストから鉄道に乗ってエゲルへ行こうと東駅へ向かった。駅に着き、エゲル方面へ向かう列車を確認しようと電光掲示板を見てみた。しかしよく分からない。駅員に聞き、ようやく分かり、私は列車に乗り込んだ。念のため、ある乗客に「この列車はエゲルに行きますか?」と尋ねてみた。すると「この列車で大丈夫です。でもエゲルに行くには乗り換える必要がありますよ」という答えが返ってきた。なるほど…そういうことか…。

 いよいよ出発である。私はコンパートメントの席に座ると、やがて列車は動き出した。ところで、「エゲルに行くには乗り換える必要がある」と言っていたが、どこで乗り換えるのだろう?そんなことも知らずによく列車に乗ったもんだ、と半ば自分に呆れながらキップをよく見てみた。すると「Füzesabony」という字が印字されている。もしや、このFüzesabonyで乗り換えなのだろうか…。そう思っていると、ある駅に着いた。

 ここは何て駅だろう…そう思っているうちに列車は動き出した。駅名を確認しようと窓の外を見ると、何と「Füzesabony」と表示されているではないか!エゲルに行くには、まさにこの駅で乗り換えなければならなかったのだ。ああ、何てこった…。それでもエゲルに行けなくなった訳ではない。こうなったら次の駅で降りるしかないのだ。

 そして乗ること30分、何という駅だか分からないが、とにかく私はこの駅で降りた。

 私はこの見知らぬ駅からFüzesabonyまで戻って、さらにエゲル行きの列車に乗り換える必要がある。ホームに列車の行き先を示す表示など何も無い。それでも行く方向だけは分かっている。それだけ分かれば十分だ。ホームにはある列車が停まっている。機関車が連結している方が恐らく進む方向だろう。そう思って駅員に尋ねると、まさにこの列車がFüzesabony方面の列車だと言う。私は安心して列車に乗り込んだ。

 やがて列車はFüzesabony方面へ向けて走り出した。この列車は特急でも急行でもない長閑な各駅停車だ。ハンガリーの鈍行なんてなかなか乗る機会がないので貴重な体験だ。これも怪我の功名と思えば、気持ちもフッと軽くなる。

 さて、列車はFüzesabonyに到着した。今度はここできちんと降り、エゲル行きの列車にも難なく乗り換えることが出来た。

 そしてエゲルには13:30、やっとの思いで到着である。ブダペストからエゲル。本来なら3時間もあれば十分なところを5時間も要してしまった。英語の表示が無かったり、国籍、文化にかかわらず誰もが利用しやすいユニバーサルデザインが無かったり、英語を喋る人が少ないと、目的地に到着するまで本当にエネルギーを必要とする。

 そう言えば、到着したエゲルの街でも英語を喋る人は少なかった。また、アジア系の人はわたし以外見かけなかった。首都ブダペスト市内では英語を喋れる人は多かったが、ハンガリーも少し田舎に行くと、とたんにエネルギーを必要とする。そう考えると、ハンガリーはヨーロッパの田舎だなぁ…と感じる。もちろん、良い意味でも悪い意味でもない。旅人にとって、苦労しながら目的地に辿り着くことも旅の醍醐味だと思うからである。

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