野鴨の記

 冬の朝。池のほとりで、野鴨の群れが草を食んでいる。その様子を見て、「僕は生きられる」と思った。なぜだろう?僕は本来鳥類は好かないはずなのに。でも、草を食む様子を見ると、身体の細胞から生きる力がぷちぷちと弾け出す気がする。弾け出た生きる力がいったいどこへ向かうのか。僕には見当がつかない。気がつくと、コートが濡れていた。まさか32歳にもなって野鴨で涙を流すとは。そのようなナイーブさを僕はとうに捨ててきたはずなのだ。それなのに。住居を持たない宿なしであり、あることがきっかけで発覚した「種なし」の僕。そもそも現代人というものは皆「宿なし・種なし」なのだとうそぶき、酒を浴びるほど飲んだ。そんな生活も今日をもって終わりを告げられるだろう。あのときの僕は、「オハラショースケ」の生まれ変わりとしか思えないくらい放縦に任せた生活を送っていた。3年前の冬の夜。クリカワセンセイ、クリカワセンセイ。電話口で僕を呼ぶ声がする。クリカワセンセイ。あと5分で「古典文法・基礎」の授業が始まりますが、先生どちらにいらっしゃいますか。まさか中山峠にいるとはとても言えなかった。昔の比ではないが、冬の中山峠は厳しい。それなのに、僕は古典文法の授業をほったらかして、中山峠であげ芋を食べながら独りごちていたのだ。今となってはどうしてあんなことをしたのか。わからない。ただ一つ言えること。それは、これ以上生徒に向かって、やれ「こ・き・く・くる・くれ・こ」だの、「瀬を速み」だの言いたくなかったということだ。中山峠事件の後、予備校に復帰はしたものの、「破り捨ててしまえ和歌の修辞法など」と言って修辞法のテキストを生徒たちに破り捨てさせたことがきっかけで契約が打ち切られた。野鴨に出会うまで、貯金を頼りに朝は11時に起き、「初孫」一升・瓶ビール1本を飲み、ポーノグラフィーを読みあさり、朝の3時に寝る。そのような生活を送っていた。そのような怠惰の権化と化した生活も今日で終わりだ。僕はそう決意した。ふと足下を見ると、野鴨が靴をつついていた。

#小説 #もちろんフィクション  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?