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雨音の中で

 最近なかなか寝られない。原因は簡単だ。ずっとスマホを触っているからだ。
 そんなことを書こうと思っていたが,どうやら疲れていたようで早くに寝てしまった。そして,色々と予定も重なり更新が遅くなった。

 この頃はまた雨が多くなってきた。部屋で雨音を聞いているぶんには,私は好きだ。雨の中外を歩くのは嫌いだ。それでもひと昔前よりは,憎悪しなくなった。たまには濡れるのも悪くないと思える。酸性雨に含まれる成分による人体への影響を考慮しなければの話だが。
 実家は無駄な音が多い。人間が多いぶん仕方がない。このペースだと,将来的に私は誰かと一緒に住むことができないかもしれない。静かな空間で過ごしたいんだ。でも,静かすぎるのは嫌な時もある。我儘だ。
 いつも音楽で耳を塞いでいる。仕事をしている時,本を読んでいるとき,勉強している時。何かしらの音楽を聞きながらでないと,意味のない会話が入ってきてしまう。全部聞いてしまうのだ。そして,自分なりの意見を考えてしまう。とても非生産的は会話でも全て考えてしまう。目の前のことに集中できなくなる。一種の過敏症だろう。だから私は何かの音を聞く。
 雨音がいい。そこには一定の法則がないようで,どこかまとまっている。自然の音は不思議なものだ。本物の雨音を聞けたらいんだが,イヤホンを取ると会話も入ってきてしまう。雨音のサウンドトラックには感謝しかない。

 集中しようとしている時,日本語の歌詞も聞いてしまう。耳なれたメロディのものだと洋楽でも聞いてしまう。たとえ,その歌詞の意味が分からなくても。だから自然音以外の選択肢がなくなってきた。
 でも,いつも自然音を聞いているのもなんだかうまくいかない。そんな時は民謡だ。民謡は日本語だが日本語ではない。そんなものが多いきがする。
 またクラシックやジャズを選ぶこともある。全然行ったことのなく国もトップチャートをランダムで再生することもある。街中の雑踏に放り込まれたような音も好きだ。カクテルパーティ効果を期待して街に出たこともあるが,何かしら気になると聞いてしまう。それなら,結局自然音に帰ってくる。
 雨の音,波の音,瀧や川の音,虫や鳥の鳴き声。もう山奥にこもって過ごした方がいいのかもしれない。それでも,都会と言われる場所に30分以内に出れないと嫌なのだ。なんだかんだ都会育ちだ。むしろ,都会育ちだから自然音に憧れがあるのかもしれない。

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