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大阪市は「都構想」、横浜市は「特別自治市」~地域が統治機構を選ぶ時代

 維新信者の特徴は、全ては大阪に合わせればうまく行くという幻想を持っているところである。新型コロナウイルス対策でも、大阪の吉村洋文府知事の打ち出す施策を麗々と紹介している人たちがいた。全国のドラッグストアからイソジンが消え去った〝イソジン騒動〟にも動じない不屈の人たちである。

 一つ指摘しておくと、特別区の合区には普通の市町村合併と同様、住民投票が避けられないであろう。上山氏が何を根拠に言っているのか分からないが、「国が介入する」と言っているところに、維新的発想の源流がよく分かる。地方分権でもなく、地域主権でもない。トップダウンによる統治機構の押し付けに他ならない。

 大阪市がどのような統治機構を選ぶのかは、大阪市民の自由である。だから、住民投票という選択のツールがある。私は、都区制度など百害あって一利無しと思っているが、市民が百害を選択するのであれば、それが民主主義というものだから仕方ないと思う。

 だが、維新信者の脳内は自分が全てだから、同じ制度を全国の大都市全てに適用できると本気で信じている。これは、キリスト教信者が世界に聖書を布教するようなものだが、そこに疑問すら感じない。

 神奈川県内にも維新の会所属の議員がいるが、朝、駅頭で「神奈川県でも都構想は検討に値する」と演説している議員を見掛けて、シンプルに恐怖した。彼らは、その気になれば、川崎市も横浜市も相模原市も廃止して、特別区としてバラバラにしてしまうつもりらしい。一種の「都構想教」「維新教」とも言えるもので、背筋がゾッとする。

特別自治市と都構想との違い

 昨日、横浜市が主催した「大都市制度シンポジウム in 関東学院大学」を覗いてきた。

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 横浜市も大阪市と同じく政令指定都市である。大阪と異なるのは、県と市で名前が異なることだ。例えば、大阪で都構想が実現しても、「大阪」という地名は「府」として残る。仮に「神奈川都構想」を実現しようとすると、地図上から「横浜」という地名が消える。つまらないことだが、意外に大きなエポックである。

 横浜市も独自に大都市制度の改革の案を持っている。現在の林文子市長の時代に立案した「特別自治市」である。

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 「特別自治市」とは、簡単に言えば、横浜市域の国の仕事以外は、原則全て横浜市が行う自治体である。したがって、横浜市民の払う地方税は市税(特別自治市税)に一本化される。

 大阪市の都構想の場合は、広域行政(府)に一元化するが、横浜市の特別自治市は基礎的自治体(市)に一元化するのである。

 その動機は、実は大阪市と同じで、「二重行政の解消」である。

 例えば、河川管理。政令市の市域では、県が一級河川(大臣指定区間)と二級河川を管理し、市が一級河川(大臣指定区間)のうち一部と、二級河川(知事指定区間)、準用河川を管理している。ごちゃごちゃで分かりにくいが、中途半端に権限移譲しているからだ。特別自治市に一元化すれば、少なくとも横浜市域で完結する河川に関しては、全て横浜市が管理するということになる。

 河川管理は、昨今の豪雨災害や台風災害で重要な役割となるので、基礎的自治体である横浜市に一元化することで、防災対策の強化にもつながる。

 もう一つ例を挙げると、がけ対策だ。県は急傾斜地(崖地)の指定や保全工事、市は二次災害の危険性のある崖の応急措置を担っている。これも説明しても分かりにくいかもしれないが、要するに県は中長期的に崖地が崩落しないように予防する仕事をしていて、市はすぐにも危険のある崖地の応急措置をしているということだ。これも、当たり前だが、横浜市に一元化した方が効率が良いに決まっている。

 こうした二重行政は、都構想の場合、二重行政が解消される仕事と解消されない仕事がある。というのは、大阪市が廃止された後も特別区が残るので、府と特別区で仕事が重複したり、お互いが分担しあう仕事は残るからだ。特別自治市の場合、市域の県の仕事は全て市が負うことになるので、県と市の二重行政は完全に解消される。

 「二重行政の解消」という課題で言えば、都構想より特別自治市の方がはるかに有能な大都市制度だと言えよう。

 一方で、横浜市の人口は2020年に376万人に達している。特別自治市では行政区がそのまま存続するので、たった一つの自治体でこれだけの人口を抱え込むと、住民の声が市政に反映しにくくなるのではないか。これまでより多くの仕事を県から移譲するので、こうした住民自治の視点は懸念材料としては残る。

 そこで、特別自治市では行政区の自治機能を強化する。特別区では区長は公選制だが、行政区は市長が職員から任命する。だが、横浜市では「総合区」を採用し、議会の同意を得て市長が選任する特別職とすることを検討しているようだ。

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 特別自治市と都構想は、それぞれにメリットとデメリットがある。都構想は「二重行政の解消」を謳いながら、結局、府と特別区との間の二重行政が残る。これは現在の東京の都区を見れば分かる。

 一方、特別自治市は二重行政は解消されるが、横浜市が膨大な仕事を県から請け負い、地域の市民の声が市政に届きにくくなる。どちらを選ぶかは、市民が決めることだ。

大都市の実態に合わせた制度を自ら選択する

 シンポジウムの中で、橘田誠横浜市政策局担当理事はこんなことを話していた。

 自治の仕組みが全国で画一的で、市町村の実態と若干乖離しているのではないか。大都市部の問題をしっかり対応出来るということは、ひいては国にとってもメリットがあるし、都道府県にとってもメリットがある。少子化や高齢化が進み、税収が下がっていく。高度経済成長期の右肩上がりの時代ではなくなったとき、無駄をなくしていく、効率化していくほうがいい。一方で、自治の仕組みを、大都市部の実態に合わせたものにフィットさせていくことが大事だと思う。

 戦後、地方自治の仕組みは、国・都道府県・基礎的自治体という三層構造が当たり前だった。当初、横浜市が目指している特別自治市に似た「特別市制度」という仕組みがあったが、大都市の財源を奪われることを恐れた府県と、特別市の対象となる5大都市が対立し、実現には至らなかった。

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 その結果、妥協策として政令指定都市制度が始まったのだ。

 時代は変遷し、今では静岡市や熊本市といった70万都市ですら政令指定都市になっている。人口376万人の横浜市と人口74万人の熊本市が同じ大都市制度だというのも、かなり無理がある。もう全国一律で自治体に同じ制度を適用することが難しいほど、自治体は地域によって多様になったのだ。

 では、政令指定都市はどうすべきなのか。

 一定規模以上の大都市については、その都市の歴史や性格、地政学的な位置、目指すべき未来像などを勘案し、複数の大都市制度を選べる仕組みにしていくべきではないか。政令市の改革の方向性を一つに集約する必要はない。

 国の第30次地方制度調査会答申(2013年6月)では新たな大都市制度として、都区制度と「特別市(仮称)」の二つがあげられている。この「特別市(仮称)」が「特別自治市」のことである。

全ての都道府県、市町村の事務を処理することから、その区域内においてはいわゆる「二重行政」が完全に解消され、今後との大都市地域における高齢化や社会資本の老朽化に備えた効率的・効果的な行政体制の整備に資する点で大きな意義を有する。
また、大規模な都市が日本全体の経済発展を支えるため、一元的な行政権限を獲得し、政策選択の自由度が高まるという点にも意義がある。

 残念ながら、民主党政権の下で都区制度に関しては法整備されたが、特別自治市に関しては国政レベルで大きな動きはなく、当面は道府県から政令指定都市に事務・税財源を移譲することから始めようということで、都構想と比べると歩みが遅いというのが現状だ。

 私は都区制度など百害あって一利無しと思っているが(今日2度目)、それを大阪市民が自分たちで選ぶことは自由だ。

 大阪市には都構想という制度を導入する歴史的な経緯があるし、地政学的にも都制度がフィットする地域なのかもしれない。だが、それはどの大都市にも適用できるというものではない。その街のあるべき統治機構は、その街の住民が主体的に決めることができる時代になるのが理想である。

 今度の住民投票では、おそらく低投票率ながらも賛成派が過半数を占めるのではないかと、私は悲観的に見ている。だが、それは大阪市民の勝手である。SMクラブに通って、女王様に虐げられることを喜んでいる人に対して、「痛いからやめろ」と無理にやめさせるつもりなどない。法人市民税や固定資産税などの課税権を府に奪われ、財布のヒモを府に握られても、なお、区長や議員を選べるからうれしいと涙する人たちに、「自治体とはなんぞや」と説教をかましても、説教じじい扱いされるのがオチだ。

 だが、これだけは言っておきたい。

 大阪の「改革」を金科玉条に他の自治体に持ち込むことは迷惑千万である。

 地域のことは地域で決める。それが地方自治である。だから、地域が採用する統治機構も、地域が決める。そういう時代が来てほしいと思う。

 ただし。

 神奈川県民として、都区制度だけは断固としてお断りしたい。


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