見出し画像

政令市でも特別区でも都道府県との二重行政は存在する【都構想】

 これはもう、維新の会の信者の皆さんもお分かりだと思うが、大阪都構想が目指しているのは、「広域行政の一元化」であって、それが実現したとしても一般的な二重行政はなくなることはない。これは誤解している方が多いが、都構想において「二重行政の解消」とはあくまで広域行政、つまり本来は府県事務だったのに政令指定都市である大阪市が持っていた事務を大阪府に一本化するということでしかない。

スクリーンショット (5613)

一元化されるのは広域行政だけ

 政令市の市域では、府県行政の一部が政令市に移譲されている。このため、大阪府が政令市の市域で広域のプロジェクトを行おうとすると、どうしても市との役割分担が問題となる。府(県)として大阪市域のプロジェクトで主導権を握りたいのであれば、巨大な権力を持つ政令市の存在がじゃまになる。思い出してもらえば分かると思うが、橋下徹が都構想をぶち上げたのは、府知事の時代である。仮に彼が大阪市長だったら、都構想にはならなかっただろう。逆に大阪市の市域で府の持つ影響力を奪うために、大阪市域での「広域行政の一元化」を目指したのではないか。そういう統治機構の改革を目指しているのが神奈川県横浜市であるが、その話題は後に触れようと思う。

 大阪市から政令市として持つ府県行政を大阪府に取り戻すのであれば、大阪市が政令市という立場を返上するだけで可能である。つまり、大阪市が一般の市と同じになればいい。都区制度は必要ない。そして、前回も述べたように、住民に身近な首長と議会を持つ基礎自治機能が大阪市域で必要なのであれば、市を4分割して中核市程度の権限を移譲すればいい。府市の区割り案なら四つとも人口は50万人以上で、中核市の指定を申請すれば認めてもらえる条件が整っている。

 間違ってはならないのは、二重行政の解消という課題は、広域行政であろうが、住民に身近な事務であろうが、双方の自治体がその気にならなければ解消できないものだということだ。大阪市域に都区制度を導入して、大阪市を4つに分割しても、一元化できるのは、せいぜい港湾行政や、市域をまたがる都市プロジェクトくらいしかない。その証拠に、政令市としての大阪市のままでも、維新府市政の下で大学や病院などは一本化している。

東京都と特別区にも二重行政がある

 手前味噌になってしまうが、「都政新報」が8月27日号で面白い記事を出していた。

 新型コロナウイルスの感染防止と経済活動の両立を図るため、都が飲食店などの事業者に「感染防止徹底宣言ステッカー」を配布する中、各区市で独自ステッカーを配布する動きが広がりつつある。都のステッカーが自己申告制で実効性の担保が課題となり、ステッカー交付前に感染対策の取り組み状況を職員が確認する「認証」制度として事業者の感染拡大防止を後押しする例がある。一方で、対象業種が異なるステッカーが「乱立」している側面もある。

 都が飲食店などの事業者に「感染防止徹底宣言ステッカー」を配布しているが、実は区市でも独自のステッカーを配布している。例えば、都は事業者が申請するだけでステッカーをもらえるが、千代田区や葛飾区では事前に審査を受けないとステッカーをお店に貼ることができない。新型コロナウイルスの感染状況は自治体によって異なるし、人口密集地域と観光地では感染防止対策も異なるだろうから、自治体が独自色を出すのは結構なことだが、同じ東京で、しかも23区内でも同じような目的のステッカーが広域自治体と基礎的自治体の両方から配布されているのだから、これぞ二重行政の典型ではなかろうか。

 しかし、基礎的自治体の側からすると、これは二重行政ではなく、自治体としての独自色ということになる。

 大阪市の政令市には、こんなことはないだろう。あってはならないことだ。西成区だけ異なるステッカーを配布したり、ステッカーを貼る基準が異なっているのでは、市民が混乱してしまう。松井一郎市長の意向を無視して、西成区長が勝手に独自のステッカーを配ったら、怒られるのではないか。

 首長にその気がなければ、二重行政など解消できない。これは統治機構とは関係ないことだ。

 東京23区の山手線内には、2種類の公営バスが走っている。そもそも、東京の都心部なら民間がバスを走らせれば大もうけできると思っている人は多いかもしれないが、これがなかなか単純ではない。山手線内に進出している民間のバス路線はほんの一部に限られている。山手線の内側は、東京メトロと都営地下鉄が網の目のように地下鉄を張り巡らせている。どこへ行くにも、徒歩圏内に地下鉄の駅がある。このエリアでバス路線を黒字にするのは、そんなに簡単ではない。

 元々、山手線内には都電の路線網がきめ細かく張り巡らされていた。都電が廃止され、都バスがその代替を担うようになった。そんな都バス王国を脅かす存在となりつつあるのが、各区が運営するコミュニティーバスだ。大型バス中心の都営バスは、幅員の広い幹線道路しか走らせることができないが、区は生活道路にきめ細かいルートを設定して、定員の少ないミニバスを走らせている。

 つまり、東京23区の区域では東京都と特別区が両方、公営バスを走らせているのだ。これを「二重行政」と言わずして、なんというのか。

 両者の住み分けはほとんどできておらず、コミュニティーバスとの競合で都営バスが撤退するケースもある。民間と同様、競争原理で勝ち負けが決まるのは悪いことではないが、どちらも赤字が出れば税金を突っ込まざる得ないのだから、都と区でバス路線の住み分けをした方がいいのではないか。

 公立病院にも都立と区立がある。台東区は2009年に23区初の台東区立台東病院を開院した。この土地は都立病院の跡地で、都立台東病院が廃止された医療の空白を台東区が埋めた形だ。都が財政危機に陥った石原都政下に廃止が決まった。ちなみに、病院建設は、財政調整交付金の基準財政需要額には算定されない。なぜなら、23区共通の行政需要ではないからだ。ということは、区は一般財源から持ち出しで病院を建設したことになるが、そこが東京都の官僚のズルいところで、裏技を使ったのである。これはまた、別の機会にでも。

 公営住宅にも都立と区立がある。住宅と言えば、住民に最も身近な存在なので、特別区が持っている方が理に適っている気もするが、元々、都が「住宅局」を持って都民の住まいの確保に責任を持ってきたこともあって、2000年の都区制度改革後も都が行っている。同時に、区も独自に区営住宅を持っている。都と区で住宅政策にさほど大きな違いがあるわけではない。都は新規の都営住宅の建設は行わない方針で、かつての「住宅局」も別の局に統合されてしまったが、かといって持っている都営住宅を大々的に特別区に移管する気もないようだ。

 一つひとつ挙げていけばキリがない。

統治機構を変えても二重行政はなくならない

 東京都が他県と同様に純粋な府県行政でしかないのであれば、こうはならないだろう。都は他の道府県と比べて、やたらと都心部の基礎的自治体の事務に手を突っ込んでいるのは、都が都制開始と同時に東京市の事務を受け継ぎ、戦後は一時、法律的には「基礎的自治体」だったからだ。東京23区に区長公選が復活した後も、特別区は都の内部団体の扱いだった。2000年の都区制度改革で、東京23区はようやく「基礎自治体」として認められたが、都は依然として、23区域で統一的・一体的に行うべき事務を行うという立場は変わらず、これまでと同様、基礎的自治体の仕事も行っている。

 都区制度の下では都は、基礎的自治体として振る舞おうと、まるで親が子の宿題を勝手に手伝うような都区の親子関係が強まる。これを放置すると、都はどんどん特別区のやっていることに首を突っ込むようになり、ヘタをすると子どもの財布に手を突っ込むようなマネまでしてくる。なぜなら、財調財源、いわゆる調整3税は都が課税しているからだ。

 こういういびつな親子関係の下では、都と区の役割分担を常に意識し、改善・改革していく意識がないと、二重行政など簡単に増えてしまう。

 統治機構を変えれば、二重行政が制度的になくなるというのは、一言で言って甘いのだ。

 日本の行政機構は、国・都道府県・区市町村の三層制で成り立っている。この複数層制がある限り、どんな統治機構を選んだとしても、二重行政がなくなることはない。なくせるのは、各層のリーダーが二重行政を排除するという強い意思を持つことしかない。

政令市でも都区制度でも大規模開発は破綻した

画像2

 松浪ケンタ氏の『大阪都構想2.0』の最初に出てくる「二重行政の弊害」の代表例が「さきしまコスモタワー」と「りんくうゲートタワービル」だ。どちらもバブル経済真っ盛りに建設したものの、バブル崩壊のあおりで運営会社はどちらも破綻した。自治体が出資した第3セクターが巨額のハコモノ建設を手掛け、バブル崩壊で破綻するというパターンは当時、全国で起きたことだ。なにも大阪だけの話ではない。

 東京都もバブル最盛期に臨海副都心開発に乗り出し、世界都市博覧会を起爆剤に埋立地のまちづくりを進めようとしていた。だが、バブル崩壊で経済が右肩下がりに悪化し、1995年の都知事選では都市博中止を掲げた青島幸男が当選し、公約通りに都市博が中止となった。青島都政下で臨海副都心開発の見直しが行われたが、経済の悪化と都の財政危機はそれを凌駕する勢いで進行してしまった。1999年、石原慎太郎が都庁に乗り込んだ頃には都の財政調整基金がほとんど底付き、臨海副都心開発は「負の遺産」として処理されることになる。

 石原都政下で臨海副都心は〝観光地〟として人気を集め、その一方で臨海副都心開発を手掛けた第3セクターは巨額の債務を抱えて、破綻した。今でさえ、東京に人口が集まり、経済も右肩上がりとなって、臨海副都心は一見、まちづくりが成功したようにも見えるが、そこに至る過程では多くの血を流したのである。

 全国の自治体がバブル経済で膨らんだ税収を将来の世代の負担の軽減や、住民サービスの充実に傾けようとせず、ハコモノづくりに奔走した。そのツケを後の世代が払っているのである。これは東京も大阪も同じで、統治機構が悪いのではなく、その時の自治体のリーダーと、チェック機関である議会に責任がある。東京にしろ、大阪にしろ、そういう政治を支えたのは、共産党を除くオール与党体制だった。

 臨海副都心開発を進めたのは、鈴木都政4期目だから、社会党も与党だった時代である。また、都区制度はまだ2000年改革前で、特別区は区長の公選が認められていたものの、都の内部団体扱いだった。23区の区域内で、まともな自治体は東京都だけという時代である。それでも、大規模プロジェクトは破綻したのである。

 大阪都構想の新案では、中核市並みの権限を持つ特別区が四つできる。中核市レベルの自治体なら、バブル経済くらいの大きな税収が入るようになれば、無駄なハコモノなどいくらでも造れるのではないか。統治機構をいくら変えても、自治体行政に携わる人たちの脳内が変わらなければ、ハコモノ行政は続いてしまう。

 既に都区制度を採用している東京都から見れば、大阪市を四つに分けて、都区制度を導入すれば、二重行政が解消されると言われても、ふふんと鼻で笑ってしまうのだ。

ほとんどの記事は無料で提供しております。ささやかなサポートをご希望の方はこちらからどうぞ。