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小池百合子と吉村洋文の落ちた罠~橋下徹という「成功体験」

 イソジンがない。これを書いているのは2020年9月。私は神奈川県のとあるベッドタウンに住んでいるが、ドラッグストアをいくら探しても、イソジンのうがい薬が見つからないのだ。コロナ禍で元々、在庫が豊富な商品ではなかったが、8月4日の吉村洋文大阪府知事の記者会見をきっかけに、店頭から姿を消してしまった。

 「うそみたいな本当の話で、うそみたいなまじめな話をさせていただきたいと思います。皆さんもよく知っているうがい薬を使ってうがいをすることによって、コロナの患者さん、コロナがある意味減っていく。コロナに効くのではないかという研究が出ました」

 このイソジン買い占め騒動が単に吉村知事の情報発信のみに原因があるのではなく、マスメディアとの共犯だということは以前にも述べた通りだ。

 あれだけの騒動を起こしながら、維新の会の政治家や信者のTwitterをいくら眺めても、「私は今日もイソジンでうがいしました」という人を見ない。維新の会の信者ですら、イソジンの効果を信じていないのだ。それどころか、ようやく店頭に戻ってきたイソジンを見て、「さすが維新」とドヤっている信者までいる。果たして大阪府民のうち、あの会見をきっかけにイソジンでうがいをしているという人がどれだけいるのだろうか。

 発信したら、発信しっぱなし。

 騒動の責任は誰も取らない。マスコミが悪いと責任転嫁する。

 私は昔からすぐに喉を痛めるので、ここ数年はイソジンを使ったうがいは毎日のルーティンだった。この騒動をポジティブに捉えれば、「使いすぎは良くない」というデメリットも知ったということしかない。私より切実にポビドンヨードを必要とする人はたくさんいるだろう。維新が大阪でなにをやろうが勝手だが、関係ない自治体に住む日常生活まで脅かさないでいただきたいものだ。

 せめて東京をはじめ、全国の維新所属の議員は、地元のイソジンの流通状況を調べて、本部に報告し、しかるべき対処をするよう求めるべきではないだろうか。都合が悪いからと言って、「なかったこと」にする議員を私は信用しない。本当に維新の政策能力や調整能力が優れているのであれば、地元のイソジン不足を解消してみてはいかがだろうか。

 こういう維新流の情報発信は、橋下徹氏が代表を務めた時代から変わっていない。聞かれてもいないのに自分からしゃべっておいて、国民からの批判を浴びると、逆ギレしてマスコミに責任を転嫁する。これは維新の伝統芸のようなものだ。それでも、大阪の人たちは維新を支持したし、だからこそ今でも大阪の府市は維新が首長を持ち、議会も第1党を維持している。

 要するに、自分たちの人気の浮揚が第一である。政策は実行できたかどうかではなく、やった感、やってる感が優先である。その傾向は、橋下氏が代表が表舞台から退いて、ますます強くなっている。むしろ、色々と批判はあっても、橋下氏はやるべきことはやっていた。

 実態が伴わないのに人気だけはある。人気はあるから議席も獲れる。だから、失政の責任は取らない。

 維新の暴走の背景には何があるのか。

 私は、それは橋下時代の成功体験だと思う。改革を掲げた橋下徹が地域政党を立ち上げて、悪政の根源である大阪自民党をやっつける。大阪の官僚が頑なに守ってきた既得権益と闘い、改革を成し遂げる。橋下府政・市政は短命ではあったが、維新の政治家からすると、それは成功体験の連続で、その最後に都構想の住民投票での敗北という挫折があるのだ。

 橋下徹を間近に見てきた若い政治家からすると、いわば橋下チルドレンとも言える維新の政治家たちからすると、その成功体験の連続という快楽が脳内に残っていて、都構想という最後に残った挫折さえ打ち破れば、その先に再び橋下改革の成功体験が続くと思っている。維新政治とは成功体験で支えられている。

 イソジン騒動も、そういう成功体験の残像が起こしたものだ。

 実は東京の小池都政も、同じジレンマから「改革」の挫折を経験した。

 2016年に「東京大改革」を掲げて都庁に乗り込んだ小池知事は、1期目に外部人材を顧問として起用した。そのうちの一人が上山信一慶應義塾大学総合政策学部教授である。上山氏は大阪府市の特別顧問を務め、都構想の立案にも深く関わっている。都政新報で上山氏のインタビューを行った際に取材に同行したことがある。維新の改革を支えた人というと、あんな議員や、そんな議員を想像してしまうが、非常に常識的な人だ(苦笑)。

 話は分かりやすいし、その理屈も一定理解できる。仕事はできる人ではないだろうか。都庁を「ガラパゴス」と評したのも納得したし、各局が縦割りで、情報公開が遅れていることや、政策評価を財務局にやらせていることなど、おそらくほとんどが頷ける内容だったのではないか。ところが、それをどうやって実現していくのかという道筋には具体性がなかった。

 案の定、小池知事の改革は挫折する。築地市場は更地となり、豊洲市場は開場を延期しただけで、既定路線とさほど変わっていない。五輪競技場の見直しも最低限にとどまっている。おまけに小池知事は国政に色気を出して、民進党を反共で分断し、今もその後遺症で野党は弱小勢力にとどまっている。上山氏を始めとする顧問は1年半で切られ、再選を目指す都知事選で小池知事は改革道半ばにして、「2.0」とか言い出した。

 今振り返れば、小池知事の改革を挫折に終わらせたのは、大阪での「成功体験」ではなかろうか。

 小池知事には、やると言えば、やり遂げる実行力がないのだ。上山氏がインタビューで語っていた「改革」は、ほとんど都庁で実現していない。ならば1年半で切る理由などない。

 小池都政は1期目から実質的に公明党主導で動いていた。小池知事は公明党を切れなかったのだ。東京と大阪の分水嶺はおそらく、ここにあった。衆院選での国政進出の挫折で都政での求心力を失った小池氏は、公明党の力を頼るしかなかった。国政選挙でけんかを売って公明党を抱き込んだ大阪とはここが決定的に異なる。

 東京と違って、大阪には「都政新報」などという粘着質の業界紙など存在しないだろう(爆)

 ここは東京だ。大阪のようにうまく行くはずがない。

 そんな当たり前のことが分かっていれば、小池都政の進む道も最初から異なっていたのではないだろうか。外部人材の関わり方も異なっていたかもしれない。

 橋下徹という男はそれほど、全国の改革勢力に「成功体験」という副作用を残している。とりわけ、維新はその代表的な勢力と言えよう。

 大阪では11月1日に都構想の是非を問う住民投票が行われる。

 私は非常に悲観的に見ていて、住民投票では賛成が多数となると思っている。大阪市民には期待していない。

 だが、同時に大阪都構想は失敗すると思っている。

 2015年のときの特別区設置案よりもよく練られている。基礎的自治体である特別区のことをよく考えている。だが、その一方で様々な案件を「一部事務組合」に投げている。また、肝心の「都」である大阪府がどうなるのかという議論が薄っぺらである。公明党の提案を受け入れようとするがあまり、本来の都区制度のダイナミズムが薄れている。

 本当にこんな案でいいのだろうか。

 住民投票のようなゼロか100かを問う改革でいいのか。

 よく考えてほしい。保健所を四つにしたいなら、今すぐ四つつくればいいのだ。

 都構想なら保健所が四つになります、なんて滑稽とは思わないか。

 ネット上での賛成派と反対派の議論、いや、けんかを見ていると、ああ、この都構想は失敗するだろうなと感じる。

 何の因果か、私は四半世紀も東京の都区制度に付き合わされてきた。こんなnoteの片隅の文章を読む物好きなどあまりいないと思うが、11月の住民投票まで都区制度とはどんなものか、都構想はなぜ失敗するのか、書けることを書いて残しておきたい。いつか、大阪市民の誰かが都区制度に嫌気がさして、このnoteを掘り返してくれる日が来るかもしれない。

 バズることは考えていない。ただ、淡々と書いてゆく。

 

 

 

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