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[無いものの存在]_25:戦略的なあいまいさ

ここで書いていることの多くは思いつきから始まっている。
ただし、なんでもかんでも書き散らしているわけではなくて、体の変化に呼応しながら言葉を探っている。だかた前回書いた「出来なさ」といことも、あの時の直感で放ったものだ。そして今やっとその一投を拾えるところまで歩いて来れた。
今回はその「出来なさ」の前後にあったものを考えてみたい。
それはアートとか福祉とかの横断というわかりやすいキャッチコピーの前に、自分が向き合いたかったもの、つまりこのnoteで言えば『無いものの存在』に辿り着こうとする大切なものの気がするのだ。

「出来なさ」に目を向けた理由は2つある。
まずは、幻肢痛、義足のリハビリの経験を次のアクションへ繋げようと積極的になっていく中で、新しいことを見つけないといけないというプレッシャーが高まっていたことが要因のひとつである。初めての経験は楽しい。これまでに無い動きを獲得するのは文字通り“新しい体”を手に入れた気分だ。
しかし、それは「障害」を孤立化させるのではないかという不安も隣り合わせだった。僕が約20年間、ある基準からカテゴライズされていた「障害者」という中で、「出来ること」の可能性を追い求めて幻肢や義足を自分の中で再構築していく作業はマイノリティの中のマイノリティ化を進めている。こうして個/孤の特製としての「障害」は、いつしか自分の中でも思考を深める「タネ」から、障害をアイデンティファイする「ネタ」化してしまうのではないかとい葛藤があった。
これは今でも自分の中ですっきりした回答は出ていない。

もうひとつは、4年ほど前に展覧会のプロポーザルの中で、『Tactical Ambiguity (戦略的なあいまいさ)』というキーワードを出したことが関係する。この展覧会は不理解から進む様々な社会の分断に対して思考を続けるための提案であり、作品を通じて多様な思考や意見の中を漂う実践を行うアーティストを取り上げ、彼らとそうした社会状況について考えるというものだった。
僕は、アートとは自分の想像を超える他者と出会い、当たり前だと思った規範や自身の考えを絶えず変容させる技術でもあると考えている。
だから美術館やギャラリーは、安心して傷つくことが出来る場所だと思うのだ。作品は人を感動させることもあれば、深く落ち込ませたり考えさせることがある。こうした暴力性は、例えば街中や日常で突然出会うと、それは本当にただの暴力に為りかねない。美術館やギャラリー、またはアートプロジェクトでは、“ここでは安心して傷つくことができる場所です”という設定を作っていく技術が宿っている。アートとは、そうやって人が安全に変容するための技術を磨いてきた歴史のひとつだと思っている。
『Tactical Ambiguity』というのは、アートという技術を通して、社会問題や個々の葛藤に対して簡単な答えを見つけず、あらゆる矛盾の中を漂い続けて自己を更新し続ける不断の想像力について考えるというものだった。
残念ながらその展覧会自体は実現しなかったが、その後この関心は様々な仕事の中で思考し続けてきた。
それはこのnoteでの執筆へと繋がっている。

骨肉腫、父親の脳腫瘍から考えたのは、人間の体が変わることで影響を受ける思考についてと、身体や思考の変容は当事者を通じて社会化されること(つまり障害者と呼ばれることや個の変容が病院や福祉という制度の中に生きること)だった。それはアートについての考えに影響し、反対にアートの歴史や実践が僕の思考を通じて体に変化を与え続けてきた。
こうした一連の流れの中で、右足の切断とはある意味で人工関節という機能的に制限された右足が与えていた体や思考のリミッターを外すきっかけとなった。これまでは実在する右足から思考が影響を受けていたが、その右足が幻肢となってしまったことで思考そのものになったような感覚でもあるのだ。
幻肢という存在が、前述の『Tactical Ambiguity』へと結実していたアイディアを不可視が故に具体的に自身の体に落とし込んでいける兆しとなった。

以前、中井久夫さんの言葉を引いて、幻肢は自分にとって“比較的ましな選択”であったのではないかと書いた。
『Tactical Ambiguity』もまた、自身を安全に揺れ動かす方法として選択されるあいまいさである。それは『無いものの存在』と共鳴するアイディアなのだ。

トップ画像:イシワタマリ《山山アートセンターをつくる》(2019,京都芸術センター)(『逡巡のための風景』(青木彬キュレーション)にて、イシワタ作品の前でゲートボールをする近隣の方々)

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