港区ネグレクト【ネットカフェ・サンサーラ♯2】


うちの店を利用する際、会員カードの提示が必須である。
初めて来た客は身分証を出して会員登録しなければならない。

店員の目もろくに届かない閉鎖空間、パソコンやインターネット回線を提供するという特性上、ネットカフェは犯罪に使われる可能性がある。
実際に警察から「この人が店に来たら通報してください」という指名手配書が度々送られてくる。顧客検索すると本当にそのお尋ね者がいたりする。

ある日、まだ幼さの残る少年が「パソコンを使わせてください」と店に来た。
小柄で、痩せていて、よれよれのパーカーを着ていた。バッグは持っていない。

「当店をご利用のお客様には会員登録をお願いしておりますが、身分証はお持ちですか?」
「保険証で良いですか?」
「大丈夫ですよ。拝見いたします」

中学生くらいかと思っていたが、17歳だった。
高校生?それに少年が店に来たのは平日の昼間。学校に行っていないのだろうか。
更に驚いたのは、記載されていた住所だった。
港区のマンションの15階。港区のおぼっちゃんが何故こんな汚い街のネットカフェに?
しかし、「学校にも行かず遊び回っている金持ちの不良息子」にはどうしても見えない。

余計な詮索は不要だ。
客が何者であろうが、こっちは身分証を確認して会員登録用紙に必要事項を書いてもらえればそれでいい。
少年が用紙に名前、住所などを書き進める様子をなんとなく直視はしないように窺う。
手が止まった。書き終わったかな。

「あの、電話番号のところなんですけど、僕、携帯持ってなくて……」
「ご自宅の電話番号でも大丈夫ですよ」
「家電(いえでん)ないです」
まぁ今時、固定電話を置いていない家もあるだろう。
「ではご両親どちらかの携帯番号で……」
「親と連絡取ってなくて、知らないんです。住所は分かるんですけど」
親と別居しているのだろうか。しかし17歳がタワマンに一人暮らし?

「では電話番号のところは空欄で大丈夫です。代わりにご両親の家の住所を空いているところに書いていただけますか?」
書いてもらった親の住所を見て、気分が悪くなった。

港区の、同じマンションの更に高層階だった。
この少年はたぶん、否、ほぼ確実にネグレクトを受けている。
金持ちの親にマンションの一室丸ごと与えられたが実質捨てられたようなもので、携帯も持たせてもらえず、学校にも通えず、よれよれの服一枚で、こんな繁華街の激安ネットカフェに「パソコンを使わせてください」とやってきた。
幼く見えたのは、体格の小柄さや服装もあるが、喋り方がなんとなく子供っぽく、こちらの顔色を伺っている様子が必要以上に大人を恐れているようで、社会性が17歳相応に見えなかったからだ。

助けることなんてできなかった。
私はただのネットカフェの店員で、少年はただの客だ。
ネグレクト云々というのも私の考え過ぎかもしれない。

そもそも、うちに来る客には何か事情がありそうな人も多い。その事情にいちいち首を突っ込んでいたらこっちの心が保たない。
でも、この子はまだ17歳。親のサインがなければ携帯の契約も会社で働くこともできない子供じゃないか。

せめて、と思いレジのクーポン適用画面を操作して500円引きで会計を打った。
本当は会員カードのポイントが貯まらないと使っちゃいけないんだけど。会社にバレなきゃいい。バレたときは「すみません!レジ打つとき間違えちゃいました!」ってすっとぼけて謝ればいい。大人はズルイんだ。

「ご利用中にご不明点や、困ったことがあったらお申し付けくださいね。ごゆっくりどうぞ」

困ったときは大人に助けを求めて良いんだよ。目一杯の心を込めて言い、部屋の鍵を渡した。

少年はパソコンで何を見たのだろうか。
携帯がなく、学校がなく、あたたかい家庭がない彼にとって、ネットカフェの個室だけが外の人間と繋がれる唯一の場所だ。
YouTubeでも観て笑っているといい。
ゲームを楽しんでほしい。
ネットで繋がる友達ができるといい。
バイトを探して、新しい服やスマホを買えるようになるといい。

少年ひとり助けられない私は、せめて彼が今この時間を楽しくやり過ごせることを祈った。

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