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役者になろう

こんにちは すっかり秋めいてきたこの頃、抜けるような青空が一段ときれいですね。
 
初めて勤めた会社では、営業職に就いた。
近しい人たちとは、何でも雄弁に話せるのに、見知らぬ人は苦手で、目上の人は緊張して話せなくなる。典型的な内弁慶だった。
新規の取引先を発掘するのも大変だった。それ以上に先輩たちが築き上げてきた顧客を引継ぎ、ビジネスを拡げていくのが嫌だった。まともに話が出来ない上に、ルーキーの頃はビジネスマナーも業界事情分からず、何を話して良いのかわからなかったから、辛いことが多かった。苦い思い出だけど、まぁ、それも人生の1ページ。
大変でもしばらく働いていれば、それなりに経験を積み、知恵も技能も身に付く。
そんな頃、「役者になること」を覚えた。
『今日は快活で元気いっぱい。笑顔溢れる人になろう。』とか、『今日は落ち着いて、数字に詳しい人になろう。』とか。訪問先の事を考え、あるかなしかの自分の引出を精一杯広げて、自分で決めた役割を演じた。
起業していた時の仕事に「研修講師」があった。人前に出るのが苦手だったにも関わらず、お仕事だったので20年で500回以上も話す機会があった。随分苦労したけど、この仕事も、「役者になろう」で乗り切った。

ウチの顔とソトの顔

最近では、男性も化粧をする時代だけど、昭和の頃の化粧は女性の専売特許だった。当時の私は単純なので(今でもあまり変わらないかもしれないが)、『女性は化粧をして、家の中の自分と戸外の自分を切り分けている。だったら、自分も仕事の貌(顔)をつくろう』なんて、考えてみた。
仕事の辛さを避ける術として思いついたわけで、褒められたものではない。けれど、昔は『男は敷居を跨げば七人の敵あり』なんてことわざもあるくらいで、外に出れば司法八方に注意し、隙を見せぬ者になり切らねばならなかった。まぁ、その気を引き締める動きにあやかったような形だ。
ウチとソトを峻別して、「役割を演じたらおしまい」というのは、別人の自分がいるようで都合がいい。ソトで失敗しても、ウチでは別の顔になるので、引き摺る事がない(ウソです。そりゃ全く別人にはなれません。でも、随分軽減出来ました。これはホント)。
2つの顔だけでなくてもいい。夫の顔、父の顔、経営者としての顔、研修講師としての顔とか、いろいろあってもいい。まぁ、あまり多過ぎると、分からなくなってしまいそうだが・・・

演じきれば・・・

不思議なことに、目的に応じて自分の役割を明確にし、徹底して演じ切ると物事が上手くいった。もちろん、役者になるからには、それなりの勉強も必要だ、と思い、たくさん勉強した。大学生の頃より勉強したんじゃないかと思う。
本物の俳優さんだって、役を演じる前に、本物の職業人を取材したり、関連する知識を学んだり、初歩的であれ必要な技術を習ったり、地域や時代背景を知るため現地を赴いたりする。同じようなものだろうと、自分自身に言い聞かせ、勉強を重ねた。それも良かったのかも知れない。
自分が何をしなければならないのか、そのために、どんな知識や技術、経験が必要なのか。実現するために愚直に努力を積み重ね、役割に応じて演じていく。
きっかけは忌避行動だったかも知れないけど、「役者になろう」は、今でも役立つ。終わりよければすべて良し。

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