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「テクノ・リバタリアン」を読んで

 「マネーロンダリング」を読んで橘玲を知った。小説として面白かったし、勉強にもなった。マネーロンダリングなんて、マフィアとか、やくざの犯罪行為だけかと思ってたので。 「永遠の旅人」でファンになった。

今回は、橘玲著「テクノ・リバタリアン」(発行所:文藝春秋)を読んだ。

自由か、統制か

 ずっと昔に、高橋俊介著「自由と自己責任」を読んで、感銘を受けた。
自由自在に生きる方がイイ。けど、自分勝手に生きるなら、自分の事には自分で責任を持つしかない。そう思ってきた。

 けど、著者が言うように、よくよく考えれば、無償で教育を受け、社会保障に守られ、安全に暮らせるのは、国家がしっかりしているから。 もちろん、十全ではない。十分でもないだろう。万全なんて永遠に来ない。

 たくさん税金を納めて社会保障等々を一層充実させてもらった方がいいのか、そんなものは脆弱でも自由闊達に生きた方がいいのか。
いや、世界は複雑で、そんな単純な二項対立構造ではない・・・

 いずれにしても、何処かの誰かが国家の基本を考えて国民を誘導してる。
私たちは、それに乗っかってる。「何処かの誰か」を指名しているようで、してないような・・・

まぁ、今は多様性を認め合う時代で、昔よりもあれこれ難しい時代。何をやっても、何処かで誰かが不満。(いつの時代もそうか)
難しさが増しているなら、著者がいう「テクノ・リバタリアン」たちに任せるのも一つの解決策かも知れない。

 本書は、そんなことを、あれこれと考えさせてくれた。
著者の本を読むと、いつも、現実の真相を突き付けられ、あれこれと考えさせられる。

世代交代

 その昔の日本は、国内通信は日本電信電話公社(現在のNTTの元祖)が独占していたし、国際通信は日本電信電話公社から分離独立した国際電信電話株式会社の独占だったわけで、情報通信の社会は国家統制で始まっている。
いや、鉄道だって、航空会社、船舶等々、主要産業は、国家主導でつくられてきた。それが日本という国。だから、社会資本主義国家のような様相。

 ところが、GAFAMときたら、シリコンバレーの学生たちが、ガレージで始め、自由奔放。年寄の言う事なんて聞きゃしない。
 まさにゲームチェンジは真逆の構造。

 だからなのか、巨万の富を手にしたGAFAMの「テクノ・リバタリアン」にうさん臭さを感じる人も多い。
けど、「トップアスリート」や「世界的な芸術家」には、リスペクトが集まる。
同じようなギフテッドな人たちなんだけど。

 「テクノ・リバタリアン」は、国家や社会制度そのものに影響するサービスを担っているからだろうか。

なんだろうなぁ、この違い。
・・・著者の新著に期待しようか。

                     (敬称略)

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