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移住して丸9年。10年目を迎える気持ちを綴る。

2015年5月末に、私は縁もゆかりもなかった日本海に浮かぶ隠岐諸島の海士町へ移住した。当時26歳、人生でいちばんの勇気を振り絞った決断だった。あれから9年、私は35歳になり、海士で出会った夫と結婚し、二児の子育てをしながら今もこの島で暮らしている。
こんなことになるとは、露とも想像していなかった。そもそも、9年前は後先全く考えずに飛び込んできたのだけど。

この9年という決して短くない時間を経て一体何が、私の中で変化していったのだろう。慌ただしく過ぎていく日々の中で浮かんでは消えていく思考を、noteの中に少しだけつなぎ留めてみたいと思う。


「自然の中で生きていること」を知った

移住前の私がそれまで触れてきた自然とは、「人が管理した自然」だった。美しい公園や花壇。花鳥園、動物園、科学館、プラネタリウム、etc.
美しく整えられているのが当たり前。誰かが手入れしてくれているのが当たり前。人の手が至るところで入っていて、使いやすくつるりと受け止めやすいように加工された切り取られた自然。
たまに近所の山に登ったり、トレッキング好きな友人に付いていったりもしていたけれど、それは日常ではなく非日常としてのあくまで「体験」だったように思う。

海士で触れる自然は、もっと泥臭くて力強かった。

日本海の荒波で冬場は週に1度は本土と結ぶフェリーが欠航するし、島前三町村を結ぶ内航船もしょっちゅう欠航して高校は休校になる。大雪では車が動けなくなり出勤も出来ない。
身近なところで言えば、家の周りの雑草たちの手強いこと。特にこの5月の暖かくなってきた夏目前の雨上がりには一気に伸びるし、抜こうと格闘するとこちらが草の根の力強さに根負けする。丸ごといただいた未処理の魚を処理する時も、びっしりと美しく並ぶ鱗たちや固い皮に文字通り刃が立たない。挙げ出せばキリがないくらい、自然の力に人間がかなわないと突きつけられる事ばかりだ。(正確に言えば、私自身がまったく野生の自然にかなわないというのが正しい)

便利な場所で育った人間の、なんともひ弱なこと。

*

四季の巡りが五感に迫ってくるのも、ここの暮らしの醍醐味。
冬の終わりのぽわんとした甘い春の匂い。
早朝の鳥たちのさえずりのハーモニー。
一斉に咲き出す野いちごの花々。
次々と顔を出し輝く新緑の木々。水を張った田んぼや凪の海に映る雲。
日本海を越えてくるツバメやサギなどの渡り鳥たち。
暗くなると一斉に鳴きはじめるカエル。

春という季節を一つとっても、日常の暮らしの中で四季折々のすべてが五感に迫ってくる。

写真では切り取れない、自分の眼で見るからこそ迫るパワフルな本物の自然に圧倒される瞬間が、9年経った今でもたびたびある。

美しくて、おそろしい自然。
表面的になぞれるような生半可さの無い自然。
人間の暮らしなど、自然のほんの一部分に過ぎない。
大きな自然の巡りの中で、恵みの一部をヒト社会にお裾分けしていただいている。ヒトはそんな自然の中で心地よく過ごせるよう知恵を絞って生きてきた。そんな分かったつもりになってたごく当たり前のことを、しみじみと深く体で理解していった9年だったように思う。

「都会の豊かさ」を知った


「スーパーマーケット」とはなんと「スーパー」であるのかを知ったのは海士に来てからだ。品揃えの数、広さ、流通のスピード。全てが噛み合うからこそ「スーパー」足りえるのだと、これまでの人生で数えきれないほどスーパーに行っていたのに初めてわかった。

海士で暮らすようになって、コンビニがあるだけで、チェーン店を見かけるだけで都会だと思うようになった。欲しい時に欲しいものが手に入る、そのアクセスや選択肢があるだけで十分「何でもある」じゃないかと平気で思うようになった。

美術館や博物館、公園や宿泊施設、嗜好の違う多種多様な美味しい飲食店。数々のアパレルブランド。個性のある建築物。おしゃれに着飾った人たち。帰省のたびに本土の圧倒的な物質的豊かさを目の当たりにし、今はそれを面白がり感謝できるようになった。コンビニ、スーパー、カフェ、パン屋さん、雑貨屋さん、本屋さん。今の私には全てが魅力的で、面白くて、エンターテイメント。

大阪のごちゃごちゃしたコンクリートジャングルに辟易して海士暮らしを選んだくせに、離れてみたからこそ、都市の持つ創造性と面白さが見えるようになった。一つの居場所の閉塞感があったとしても、居場所を新たに見つけることも容易にできるし、似た嗜好を持つ人と繋がりやすい。学ぼうと思えばいくらでも機会がある。圧倒的人流に支えられた、ヒト社会。移住前の私にとっての「当たり前」は、当時の私にはつまらなく思えたけれど、そこにも確かに豊かさも面白さもあったということは、離れたからこそ気づいたこと。

一方で、「ないものはない」を町として掲げるような海士に住んでいると、たいていのことが無くても問題ないという境地に至るのも事実。どこの商店も19時には閉店するし、日曜日はほとんどの商店はお休みだし、必要な時に必要なものをすぐ買うという行動パターンは取れない。船は欠航したり故障したりして予定通り運航されないこともたびたびある。圧倒的に不便なことは間違いない。

でも、不便な中で何とかやりくりしてどうにかする。思い通りにいかないことがある中で、それでもどうにかする。そういうメンタリティが育まれる場所だと思うし、無いなら作っちゃえ!という「作り手」マインドも潜在的に芽生えやすいとも思う。

プロほど上手じゃない、知らないことも出来ないこともいっぱいある、でもやっちゃおうぜ!というノリで、アマチュアでも動き出せる余白がある。


農村があるからこそ都市部は成り立っていて、都市部があるからこそヒトの持つ創造性もさらに広がっていく。双方はどちらがいいとか悪いとかの二項対立ではなく、密接に繋がり影響し合いながら成り立っている。これも当たり前と言えば当たり前なのだろうけど、海士で暮らすようになったからこそ実感知として、深く知った。

「私自身が持つもの」を知った

海士に移住する時も、してからも、ずっと「私には何もない」と思っていた。誰かに堂々とアピールできるような特技や実績。これがしたいという情熱。自分には何にもないから、せめて誰かの役に立つように、任された仕事は精一杯逃げずにやりきる。いつも誰かの顔色を伺いながら、これでいいんだろうか、大丈夫なんだろうかと気をすり減らしていた。手応えも自信もさっぱり無かった。不安を探し、足りないところを探し、ダメだダメだといつも自分を叱咤していた。

それが最近になって、ちょっと、変わった。
今は、私自身が私の中にあるものに気が付いている。小さな希望や願いや、ちょっと今しんどいなとか。自分の状態をちょっと俯瞰して見て、誰のためでもなく自分自身のために、私のエネルギーを使うことを許せるようになった。
それは例えば、ひとり時間を持つことや、絵を描く時間、自分がしたい企画をやってみることだったりする。

世界の捉え方や見え方そのものが、少しだけど確実に変わったような気がしている。まだ上手く言葉にならないけれど、たぶん大きな変容が生まれている。これで大丈夫、そう思える。
私にとってそれはとても良いこと。

その変化が生まれたことに、この島暮らしの影響は計り知れないほどあると思う。
ありったけの自然も、積み重ねてきた人付き合いも。高校生との関わり合いも。家族が出来たことも。ぜんぶぜんぶ繋がって、連鎖しあって、助け合って、刺激しあって、ここに今生きている。全てが私の血肉になって、今ここのエネルギーが生まれてる。その巡りの中に巡りの一つとして息づく自分自身をただ巡らせようと思えている。


こうでなくちゃ、こうしなくちゃとがんじからめに強張っていた固定概念が、生まれ育った環境と全く違うここに来たことで少しずつほぐされていったような気がする。自分の中に眠っていた素朴な願いに気づけるようになった。カチコチの土が、多様な微生物によってほぐされてふかふかの土になったことで、これまであったタネがようやく水や光を受け取り芽生えようとしてるような感じ。

これはこういうもの
こうしなきゃいけない
世間に認められない
社会人として生きていけない

そんなヒリヒリした思考パターンから、

完璧を目指さない
ある程度で大丈夫
本当に大切なことを大切にする
みんなみんなお互いさま

そんなゆるっとな思考パターンになったかも。

自分にも人にも社会にも『ないもの探し』をし続けてきた気がするけれど、既にあるものがたくさん見えるようになって、あるもので何か作り出したくなった、感じ。




さて、10年目は一体どんな年になるんでしょう。
相変わらずさっぱり分からないけど、きっと楽しい方に、ワクワクする方に向かっていけると思う。

この9年の出会いに感謝。
あのとき踏み出して良かった。
そう言える今に辿り着けて、良かった。


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