見出し画像

世界はMECEではない

「世界はMECEではない」というお題で、物書きの仕事論について考えてみた。

MECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)は、「漏れなく、ダブりなく」を徹底した完璧な分類を指す言葉だ。あるいは、ツリー構造による問題記述ともいえる。マインドマップの基本はMECEといえる。

いま企業Aが、課題Bを解決したいとする。課題Bの内容は、b1、b2、b3、b4に細別できる。これこれの理由により、最も効果が高い施策はb2に注目することである──こういったロジカルシンキングの基本になる考え方がMECE。課題、施策を完璧に洗い出し、漏れなくダブりなく記述できれば、論理思考によりきれいな問題解決ができる。

人間的な要素を削ぎ落として、「概念」や「要点」だけを抽出し、課題を記述したり、問題解決をしたい場合、MECEは有効なやり方だ。優秀なコンサルタントや高級官僚にとって、MECEの使いこなしは基本のキだ。例えば、マッキンゼーの経営コンサルタントは、あらゆる思考をMECEにするよう、しごかれるという。「マッキンゼー人の手になるすべての文書(社内メモの類も含めて)、すべてのプレゼンテーション、すべての電子メールやボイスメールが、MECEでなければならない」のだそうだ。

ところが、MECE、ツリー型のきれいな構造ですべてを語る考え方に異を唱えた人がいる。建築家のアレグザンダーだ(書籍『パターン、Wiki、、XP』を参照)。彼は、「都市はツリーではなく、セミラティスだ」と唱えた。セミラティスは、元は数学の概念。MECE/ツリー構造は重複がないきれいな構造だが、セミラティス構造はグループ分けの重複を許す。

建築家による都市設計の多くはツリー構造の概念できれいに整理されているが、どこか人間には馴染めない部分がある。セミラティス構造に含まれる重複は一見無駄と思えるが、それが人間が住む現実の建築、都市には必要なのだ、とアレグザンダーは説いた。人工都市と、自然発生的に育った都市の違いを、ツリーとセミラティスという言葉で表現した。

ここから先が、物書きの仕事論の話になる。

雑誌の特集記事のような、ある程度のボリュームと複雑さを持った記事を書く場合、ツリー構造は大事だ。頭がいい人が考える企画は、だいたいきれいでMECEなツリー構造になる。

ところが、現実に取材をして、取材で得た内容の質 and/or 量がある閾値を超えたところで、「このストーリーは、ツリー構造じゃない!」という部分が見えてくる。「真犯人は別にいる」と気付く瞬間があるわけだ。初期段階で、手持ちの材料を元に考えた仮説が、検証を進めるうちに、間違っている部分、精度が悪い部分が見えてくる。

ここで、取材した内容をもとに新たにきれいなMECEな構造を作り直す人もいる。すでに確立した技術分野の記事を書く場合であれば、それが正解だ。MECEな構造を徹底した記事は、要点が整理されていて読みやすい。

ただ、MECEを徹底した優秀な記事(滅多にないけれども)を読んでいると、「つるっと整理されすぎていて、頭に残らないなー」という感想を持つことがある。

特に難しいのは、企業経営や、開発組織に関わる記事、それにふわっとした技術トレンド、まだ評価が定まらない技術の話、そうした対象について書く記事だ。

特に「人もの」、特定の人や、組織に焦点をあてた記事の場合、「人」の行動原理や、行動結果をどう評価したか、そこが伝わるといい記事になる。たいていの場合、その行動原理や評価は、ロジカルに「すぱっ」と分析できるようなものではなくて、だいたい曲がりくねっていて、いっけん無駄な重複、回り道がある。

そこをどう記事に書くか。最も書きやすいのは、回り道や無駄はあったけど、結果として「ロジカルに考えた仮説を結果を見て修正していく」ことを繰り返してうまくいったね、というストーリーだ。優秀な経営者が会社を運営する話とか、研究者が成果を出す話は、こういうストーリーに収束する場合が多い。

ただ、その場合も、本当のストーリーは、たぶん違う。回り道や無駄なルートを歩いた結果、個人や組織の学習が進んでいって、それがある閾値を越えたときに、次の展開が起こる。学習曲線は右肩上がりではなく、停滞期がある。外部から観測できるKPI(評価尺度)の上では足踏みしているように見えても、内部では学習が蓄積されつつある時期があるのだ。足踏みしている時期に必要なものは、完璧なMECE構造に基づく課題分析や問題解決手法の提案とは限らない。むしろ重複、無駄、回り道、ノイズの中から、次の一手を模索することが必要な場合もある。

「重複(ツリー構造ではなくセミラティス構造を採用)」や「回り道(学習曲線の停滞期)」は、気が短い人、単純な思考を良しとする人にとっては単に「駄目で無駄」なものに見える。短期的なKPIを追求する経営者やマネージャーにとっても、そうだろう。

手持ちの材料から論理思考だけで導き出せる結果、観測できる指標だけで導き出せる結果は、「その範囲では」正しい。ただし、人間や、人間の組織の力を本当の意味でフルに引きだそうと思ったら、言語化、数値化できない部分──人が無意識のうちに好むパターンがあることや、あるいは学習曲線の停滞期があること──に注意を払う必要があるだろう。最近のテック業界で、エンジニアの働く環境や働き方に自由、余裕を認める傾向が出てきたのは、ある意味では事後的にそのような人間の特性に気がついたからだ。(追記:2023年時点では業績懸念もありややバックラッシュ=後退がある。ビッグテックもリストラなりリモートワークからオフィスへの回帰なりを進めている)。

MECE、ロジカルシンキング、ツリー構造、KPI、それだけでは図れない部分に、人間の真実、組織の真実、この世界の真実がある。「取材者が取材をして記事を書く」という行為が世の中に必要な理由は、そこにある。少なくとも、自分はそのように信じて仕事をしている。

(注:この文章は2015年7月21日にFacebookでポストした記事ですが、今の世界を見るのに大事な要素もあり、自分で読み返すのに便利なようにという考えもあり、わずかに手直ししてnoteで公開することにしました。)

この記事がイイネと思われた方は、投げ銭(サポート)をお願いいたします! よい記事作りに反映させていきます!