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読んだ、面白かった! -2-

堅苦しいことは抜きにして、読んで面白かった本を紹介するコーナー
言いたいことはただ一言。

面白いから読んで!

 二冊目は、『ネット右翼になった父』(鈴木大介)。

 このタイトルには少々違和感がある。というのはネタバレになるけれど、読んでみれば実は著者の父はネット右翼になってはいなかったからだ。

 この本の主題はむしろ、1970年代生まれの僕らの世代が、父親との距離感をどうにも埋められないまま、父親を看取る年代になってしまい、結局モヤモヤを抱えたまま、ということへの半鐘を鳴らす内容だ。

 父親の遺品PCBに遺された多数の右傾コンテンツにびっくりした著者は生前の言動と合わせて自分の父がヘイト思想に毒されていた、と考え断絶したまま父を見送ることになる。

 思春期を迎えて以降、父親とはろくすっぽ話もしてこなかった、という人は僕を含め圧倒的に多い。というか殆どだと思う。

 なぜ、そういうことになってしまったのか、を父親側から、自分側から読み解いていくのがこの本だ。たまたまそのきっかけがネット右翼というキーワードに著者が過剰反応したから。

 晩年の父親が、ネット右翼と疑われるようなサイトの履歴を残していたり、手元に月刊hanadaが転がっていたり、とそういう匂いに敏感に反応した著者。

安易に答えを求めているだけで「僕は向き合えていない」。

同書p45

 そう考えた著者は、曰くあえて「パンドラの箱」を開けることを決意する。その結果は冒頭に書いた通りだ。

 僕も、今年二月に父親を亡くした。最後の数年は穏やかに話ができるようにはなってきたが、腹を割って話したという記憶はない。どこか、話しても通じない、分かり合えない、という前提で当たり障りのない関係、つまり揉め事を極力起こさないように過ごしてきた。特に病気が発覚してからは、今更蒸し返してもという気持ちが強かったことは否めない。

 だから、「第五章 追憶」に書かれているような父親像はほとんどそのまま僕にも当てはまるし、真正面からぶつかることを避けてきた、というのもその通りだ。

 それは、言い訳にしかならないが僕らの世代ではごく当たり前の父親との接し方だったと思う。そして、父親世代がその父親(つまり僕らにとっての祖父)とはさらに軋轢があったことは時代背景を考えても想像に難くない。特に、僕の祖父はかなり独特な人で、父自身が祖父を許せず、複雑な感情をずっと抱いていたことは子供のころからおぼろげに知っていた。

 そういう多世代にわたる葛藤を抱えて生きてきた連鎖が断ち切られたのは実は僕が離婚して子供と離れ離れになってしまった、という外的な要因であることは皮肉である。父親不在で育つ子供のメンタリティについては、当事者でありながら責任の取りようがないが、せめて抑圧的・強権的な親に育てられずに済んでよかった、と前向きにとらえるしかない。

僕自身は父との距離感や溝を解消するための勇気を、ついに持つことができなかった。というか、早々と父親としての父を見限り、居心地悪い家から立ち去った。

同書p203

 自分の父親の例でいえば、晩年にいきなり思想信条が変わったということはなかった。もともとクリスチャンだし、そういった菅家の本は今でも家中に溢れている。しかし、思想信条や政治のことについて話をした記憶はないので、保守なのかリベラルなのか、よく分からない。

 何で読売新聞なんか購読してるのか、と昔訊いたら、ネパールにいた頃読める邦字新聞が読売しかなく、帰国後もそのまま行動くしているといった回答が返ってきた。それまではずっと日経新聞だったのだが。

 父親と息子の関係性というのは、実はテーマとして取り組んでいる男性の生きやすさとも密接に結びついている。つまり、昭和の価値観どっぷりの父親世代とは違う事態の価値観を持って生きていくにはどうしたらよいか、そうすることで生きやすい世の中になるのでは、という問いだ。

 依然としてマジョリティである男性そのものの意識を変えていかないと、いずれ世間にそっぽ向かれる日が来る。必ず来る。

 多くの男性は定年退職後にそれに初めて気づくが、その時にはもう遅い。社会に自分の居場所はない。会社に居場所を失ったと思ったら、実は社会にも居場所がなかったという皮肉。

 折しも、コロナ禍が落ち着いてきて、社会が以前の状態そのままへと揺り戻されつつある。これもまた皮肉。
 マジョリティは相変わらず、歴史から何も教訓を学ぼうとしない。

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