来し方(6) – 92年バングラデシュ訪問記
この稿「来し方行く末」の目的は、ワークキャンプ記録を残すことではない。先を急ごう。
今回は、バングラディシュでの話。カルカッタからダッカへと飛行機で飛び、四日ほど滞在していくつかの施設を見学した。そして、旅の洗礼もうけた、というお話。
先を急ごう。ダッカへの移動は8月15日だった。8月15日は日本では敗戦記念日だが、インドでは独立記念日。インドが英国から独立したのは1947年だから、この日は独立45周年の日だった。午前中、その式典に参加した後、空港に移動。記録を見るとこう書いてある。
トランク類がちゃんと飛行機に積み込まれるかを目視で確かめるというのが時代を感じさせる。途中で機内預け荷物がどっか行っちゃう、ってのはよく聞く話だったけど、今はどうなっているのだろう?
バングラディシュではダッカ市内のスラム街を見学し、さらにダッカから車で三時間くらい走ったところにあるマイメンシンという所から、さらに川を帆船で渡った所に住む人達の暮らしを見学した。集落は川に沿って続いており、家は竹を編んだ物でできている。隙間があるから中に入れば外の光が細く漏れ入ってくる。電気は通っていない。
20世紀の今日に、こんな暮らしをしている人々がいるということを想像すらしたことなかった僕の常識を超えた世界だった。
なぜ、この集落の見学に行ったのか、というと実はこの集落でお店を開いている女性たちがマイクロファイナンスの当事者で、それが彼らの生活向上にどのように寄与しているのか、というのをこの目で確かめに行ったのだった。
貸付に対する返済率が確か98%くらいだ、という話を聞いた。
グラミン銀行がノーベル賞を受賞する14年も前の話である。
そして、この途上で、僕は旅の洗礼を受けた。つまり、強烈な下痢に襲われたということだ。実は一緒に行ったキャンパーの一人も旅の洗礼を受け、彼女は赤痢と診断されてしまったのだが、僕はそこまではひどくなかった。
ところで、検査をするにあたって当然サンプルを提出しなければならないのだがそのために使用したモノが、面白かった。
当時はまだスマホはおろかデジカメすら存在せず、フィルムカメラだった。で、フィルムを入れるケースが4センチ×5センチ位の円筒形のプラスチックの容器なのだが、これにサンプルを回収するのである。
当然ながら、目視で一を確かめることはできないから、目安を付けて行うしかない。失敗して手に付着したら悲劇倍増である。
一度でうまく行ったのか失敗したのかは記憶にないがどうにかサンプルを回収した。
そして、フィルムケースというのはメーカーによって半透明だったり黒かったりするのである。富士フィルムは乳白色でコダックは黒色。僕は高校生以来コダック派だったので、中身を直視することもなく、しかしトイレットペーパーでぐるぐる巻きにして病院に提出したのだった。
この時、病院で医師に言われたことは、実はその後の僕のバックパッカーライフのみならず、健康維持の重要な指標となっている。今回はその言葉で締めたい。
「食えるだけ食って、飲めるだけ飲んで、出せるだけ出せ」