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来し方(5) - 死を待つ人の家訪問記

 マザー・テレサが設立した修道会が運営する「死を待つ人々の家」を訪問したのは1992年8月6日のことだった。

 Wikipediaを見ると、家の名称が「 Home for the Dying 」となっているが、僕の日記には「House for the dying(死を待つ人の家)」と書かれていた。単なる書き間違いだろうか。昔は相当怪しい英語力だったから。
 HouseとHomeじゃ、えらい違いだ。家と家庭くらい違う。
 Wikipediaの写真は、外観も、内部も、僕が訪問したときと変わっていない印象だ。

 旅日記から抜粋する形で、当時の僕の印象をそのまま記したい。 

 時間通りにバスがやって来た。だんだん空模様が怪しくなって来て、バスに乗ってしばらくしたら案の定ざばーっときた。ざーっというよりざばーっという効果音のほうが的確なくらいすごい雨である。これがスコールというものか、とにかくものすごい雨である。最初の目的地に着いた時もものすごく、結局この施設を見学することはできなかった。何しろバスからバルコニーまでたかだか十米ほどを移動するだけで、体中が水びたしになってしまうのだから。

 (注:ここは正確な名前は忘れたがMissionaries of Charityが運営する精神薄弱者などの施設で後日晴れた日に無事見学することができた)

 豪雨の中を再びバスに乗る。しばらく走っているうちに田園地帯を通り抜けた。(中略)それからさらに走っていくとカルカッタの中心部に出た。僕は今まで自分たちのいるスラム街が街の中心でカルカッタというのは街中がこんな感じのところなのかと思っていたのだが、とんでもなかった。雰囲気がぜんぜん違うのだ。街全体の持つ感じがぜんぜん違う。電気はふんだんに使われ、ネオンがつき、道ゆく人もきれいな服装をしている。建物も五、六階建てがずらりと並び、車の数も多いし、路面電車も走っている。交通事情の悪さは、もっとも相変わらずで、路面電車が渋滞していたりする。そんな街中を走っていくとふいにバスが止まった。

 そこが、あの有名なマザー・テレサのハウス・フォー・ザ・ダイイング、死を待つ人の家、だった。

 死を待つ人の家。

 家自体はそうたいして大きくはない。中に入るとまず男性が収容されているフロアーがある。床は石のよう。壁際に段があり足の低い粗末なベッドが並べられ、そこに人が寝ている。誰もかれもやせ細って、骨と皮しかないような人もいる。ベッドに横たわってときおり目をこちらのほうに向けるが、あとはじっとしている。壁に黒板があり、今日のデータが書かれていたので、それを写そう。

 6/8/92, Male 43, Female 44, Admission 2, Discharge Nil, Death 2。

 Deathという文字があたり前のように他と同じスペースを持っている。今日も二人死んでいる。まさに、今日来て、明日死ぬ人に手を差し伸べる家なのだ。このような仕事は本当に神を信じてなきゃできない仕事だろう。

 奥に進むと同じ作りで女性が収容されている。ここで見たことを、正確に伝えようとするには俺の文章では拙すぎる。人が人らしく生きるための最低のものが、ここにはあった。

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