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とうとうたらり たらりら
とうとうたらり たらりら
たらりあがり ららりとう
ちりやたらり たらりら
たらりあがり ららりとう
まだ観たことはないですが、能の「翁」の冒頭は、このような出だしで始まるそうです。
とうとうたらり、意味のない言葉を音に乗せて節をつけて歌うのは、何かのおまじないかのように、聴くものを彼方に引き寄せます。
それは、さかのぼって、経文に旋律や節をつけた声明や、雅楽の乱声の流れにたどり着くかもしれません。そして、わたしが習っている長唄の源流にもなるのでしょう。
こどもは産まれたときに、おぎゃーと泣いて、手をばたつかせます。これが、うたと舞いの始まりかの様、と云われます。
長唄の発声が難しいのは、自分の地声を探さなければならないから。師匠の唄を聴き、旋律や節を覚えても、なかなか自分のものにならない。
のどの声帯、おなかの丹田や横隔膜、自分の声を発するために、カラダ全体を楽器に見立てて、そこに呼吸を送るのです。
あー、うー。唄うことに慣れていないので、何とも恥ずかしい気持ちがあるのです。だから産まれたときの記憶を辿ってみようか。おぎゃーという第一声を。
◼️茶琴神明(佐倉・文化芸術教室)
http://www.chagoto-shinmei.jp/
◼️茶琴神明「音楽で紐とく《にほん》(Youtube チャンネル)
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