オタク、いつまでATMでいられるんだろう

2019年12月31日。令和元年の大晦日、私は実家の床で死んでいた。体力も精神も抜け殻の状態で、点けっぱなしのテレビからはジャニーズカウントダウンが流れており、2020年を迎えたこの瞬間にも沸き立っているオタクの声が耳に届く。

私が死んでいた理由は、燃え尽きたからだった。11月、追いかけている男性ユニットのライブが急に増えた。それまでCDのリリースイベント等がなければ月に2,3本だったが、8本。半分は開催地が東京ではない。理由は、11月末に発表された「大切なお知らせ」ではっきりした。メンバーの1人が脱退すると決まったのだ。おそらくは最後に走り抜けよう、という意思が運営にも本人たちにもあったのではないだろうか。

実際のところは、解らない。ただ、西に東に彼らを追いかけて姿を目に焼き付けた。サイン会やツーショット会も多く、大阪で、名古屋で、東京で、写真を撮った。指折り数えるしかなくなった彼の踊る姿を見届けた。週末、家にいる時間など殆どなかった。けれど、決して後悔はしていない。仕事後にバスタ新宿に駆け込み、現地で友人とカイロで手を温めてくだらない話をしながら物販に並び、彼らの煌めくパフォーマンスを見た日々は、紛れもなく楽しかった。

けれども、限界は来る。12月、卒業ライブが開催された。ぼろぼろと涙を零しながら脱退するメンバーに「行かないでくれ」と声を絞り出す推しを見ていたら本当に辛くて、ペンライトを握りしめながら泣いた。いつも完璧なダンスを信条としている他のメンバーも、床を見つめて顔を上げられなかった。誰からも愛される彼の脱退は、オタクだけでなく本人たちにも影響を及ぼしたのだろう。しかし、本当の地獄はそれから始まった。

ぐしゃぐしゃの顔で、グループショットを撮影する列に並んだ。全員が揃った最後のグループショットだ。キャパシティ約1300人の会場に詰め込まれた、オタクのほぼ全員が並ぶ想定は出来た。列形成が始まったのがライブ終了後の19時30分頃。おそらく前1/3くらいのところには並べたのだが、どうにも列が進まない。しばらくすると、新幹線の終電が近づいてくる。すると、スタッフに掛け合って、終電が早い者から前に並ぶことになった。東京在住の私はどんどん後ろに回され、撮影出来たのは23時40分だった。会場を出ると、あまりにも深夜の空気で倒れそうになった。そもそも、このグループショット撮影の券を買うのに8時から3時間並び、昼食を摂るときにやっと座れ、オールスタンディングなので開場15時からライブが終わる19時過ぎまで立って、さらに4時間これもまた立って並んでいたのだ。住んでいるのか…赤坂に…?仕事よりハードでは…?

肉体の辛さは精神の辛さを凌駕する。もう1ミリも動かない足を引きずりながらなんとか終電に滑り込み、これはもう続けられない、と痛感した。ライブも、ユニットも、曲も、ダンスも、友人も、大好きだ。大好きだけれど、その前に自分が破滅してしまう。年間数百枚単位でCDを買い、月に幾度も遠征し、それでも楽しい!好きだ!という気持ちで乗り切っていたが、もたない。友人と次のリリースイベントはCDを買う回数を減らそうと約束をした。

年が明け、しばらくして2月末からのリリースイベントが発表された。今度は諸々抑えるぞ!と決意した矢先、コロナウイルスに因るイベントの自粛がムードが始まった。推しユニットの決断は比較的早く、どんどんなくなっていくライブを見ながら、寂しい気持ちでいっぱいになった。同時に、正直に言う。ちょっとほっとした。次のCDを自分は何枚買えるだろうか、と悩まなくて済んだからだ。なにせ、イベントがないのだから。

しかし、すぐに「コンテンツ存続のためにお金を落とそう!」という波が来た。数々のライブハウスや映画館が経営に苦しみ、クラウドファンディングを始めるアイドルも出てきた。そして、政府も中止されたイベントの払い戻しをしなければ、その分税控除が受けられる支援案を発表した。

私は、怖くなった。私がCDを買わなければ、イベントに行かなければ、グッズを買わなければ、推しユニットも存在しなくなってしまうかも知れない。どのジャンルのオタクだったとしても、同様の危機感は抱いたのではないだろうか。と思っていたとき、ひとつの記事がリツイートで回ってきた。

推しに還元したいけれど、自分自身もコロナウイルスで切迫して立ち回れなくなってしまったという投稿だ。

なぜオタクは極端にお金を注ぎ込んでしまうのか。趣味なのだから、自分の可能な範囲で応援すれば良い、という認識はある。私もあるし、この投稿をした方にもあっただろう。それまでどうして貯金をしていなかったんだ、という指摘も尤もだ。しかし、大きな理由は「私が支えなければない」というプレッシャーにあると思う。

私は前述の通り男性アイドルユニット、またVtuberを推している。どちらも非常に本人たちとの距離が近い。アイドルはサイン会のように話せる機会が設けられているし、VtuberはYouTubeの生配信でコメントが出来、スーパーチャットという形式で投げ銭が可能だ。自分たちの使ったお金が彼らに還元され、より良いパフォーマンスに繋がる。あるいはコミュニケーションを取ってくれる。それが解っているから「この人に活動を続けて欲しい」「より良い環境を目指して欲しい」とお金を使う。もちろんもっと邪な気持ちも(認知されたいとか、他のオタクにマウントを取りたいとか)もゼロではないだろうけれど、根本は演者、コンテンツへの愛がある。

好きだと真剣に思い、良いオタクになろうとすればするほど、最適解として提示されているのはATMだ。数百枚CDを買っても、無茶なスケジュールで遠征をしても、誰かに褒めてもらえるわけではない。なぜかお金を払うために数時間棒立ちになっていられるほどの、好きだという原動力で動いている人間の集団が、オタクだ。あくまで人間だ。そんなの身勝手な思い込みだろうと感じる人もいるだろう。その通りだ。けれども、ダイレクトな推したちの反応は無茶を通してしまいたくなるほどの幸福をもたらす。だからこそ、自分がこのコンテンツが末永く続くようにお金をもっとたくさん用意しなければ、言われればお金を引き出せるATMのような存在であらねば、と感じてしまう。

でもぶっちゃけ、オタク1人の力なんて些細なものだ。他のオタクが消しゴムくらい厚みのある特典券をどどんと一気出しするのも、無限に投げ込まれる赤いスーパーチャットも見てきた。これまで可能な限り注ぎ込んできたのだから、ちょっとくらい休んでも良いのではないか。通常の生活すら足元がぐらぐらしている全世界を襲うこの危機の最中なのだから。これまで好きなものにもらってきた活力を基に、次の機会まで英気を養うくらいの気持ちで自分を甘やかそう!と私は思っている。これを機に彼らの映像を改めてじっくりと見直して、やっぱり好きだな~とニヤニヤしている。

ATMはやっぱり続けられない。だって、私は、幸運にも生きてるからだ。ひとりの人間としてコンテンツを、彼らを愛していたい。また、踊って歌って輝く彼らをこの目で見られますように。


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