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人間関係を選ぶということ

私たちは何を基準に他人を選ぶのだろう。
どこまで歩み寄って、どこで諦めるのだろう。

恋人にしても友達にしても、時には家族や親戚にだって、離れたくなる人がいる。そういう日なのかもしれないし、そういう時期なのかもしれない。
突然疎遠になることもあるし、意図的に離れていくこともある。

私はこれまでの25年足らずの人生の中で、人との出会いや別れを幾度となく経験してきた。その多くは環境に左右されていて、新しい場所やコミュニティが出会いのきっかけを作り、それらを離れていくことで関わっていた人たちとの別れもごく自然にやってきた。
けれど中には、距離があっても連絡を取り合うことで繋がっている人がいて、距離がないのに関わらなくなる人もいる。不思議なもので、すごく親しい仲だったのにいつの間にか関係なくなっていることもあるし、とてもいい人で慕っていたのに自分で選んでその人から離れていくこともある。時には、ずっと前に出会っていた人なのに後になって関係が始まることもある。

良い意味でも悪い意味でも、あるいはそのどちらでもなく単に、
必要な人間関係要らない人間関係があるのだと思う。


私は自分からマメに連絡を取る方ではない。
だから放置していると疎遠になってしまうケースが多い。
けれどそんな私にも、同僚で気の合う友人のほかに、
離れていても時々気まぐれに連絡をとる友人や、お互いの誕生日と正月だけ連絡する友人がいる。

疎遠になる人と、彼らのと違いは何なのか。

気が合うというのはもちろんだが、
お互いに全く別の環境にいて、特に共通の話題がなくても自然と話が続く。
きっと相手の人生で起こっていることに興味があるのだ。
知りたいと思うし、知ってほしいと思う。
それに対する相手の意見を聞きたいと思う。

そういう相手を見つけるのは簡単ではない。
だからこそ稀にでも連絡をとって関係を続ける努力をするのだろう。

自分の中のどこかで、彼らとの関係を必要だと判断しているのだ。

尊敬できるところがある
意見を持っている
他人を理解しようと努力する
自分と違う目線で物事を考える
新しいことにオープンである
常に試行や挑戦を続けて学んでいる
物事を複数の方向から客観的に見ている

など、つまりは自分にインスピレーションを与えてくれる存在を私は求めているのかもしれない。その要素がなくても嫌いになったりはしないが、”今の私の人生には要らないから無理に続けなくていいや”とぼんやり思う。
ずっと仲良くしていた友人も、そういう要素がなくなると自然に興味がなくなったりする。恋人でも、そういう部分が消えていくと別れを考えたりする。親戚でも、極端に保守的で聞く耳を持たない人とは距離をおいてしまう。

残酷なようにも、傲慢なようにも聞こえる。
人間関係をこうした必要性で取捨選択している自分に嫌悪感や罪悪感を覚えたこともある。

けれど今、誰にジャッジされてもいいやと気にするのをやめたら、
”世の中大抵そんなもん”なのかもと思う。
きっと私だけじゃないだろう。
悪いことではないし、むしろ自然なことかもしれない。

だからこそ、類は友を呼ぶのではないか。

人との繋がりは私たちの幸福感に大きく影響する。
だからこそ、私の好きな人たちと肩を並べられるように、
誰かにとって興味深い人間になること、
私自身を磨いて形成していくこと、
常にベストバージョンの自分に進化し続ける努力を大切にしたい。

いつも理想ではいられないし、完璧なんてないけれど、
自分なりの努力やその過程を楽しむことが私たちを幸せにし
人を惹きつける魅力になると信じて。。

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