映画『ミッドナイト・スワン』を観て

見逃していた草彅剛主演のこの映画、日本アカデミー賞を取ったとかで再上映されていて、しかも観るのにちょうど良い時間。席を予約して(ほとんど満席!)早速出向く。
草彅さんは『黄泉がえり』を観て、すごく自然な演技をする人だなぁと、俳優としてファンになった。あと『任侠ヘルパー』っていうTVドラマでも良かった。
今回の映画ではトランスジェンダーというだけで選択肢が悲しいほど奪われて、ただ生きるということだけでもままならない「凪沙」という名の人物を演じていた。やっぱり自然だった。自然でリアル。盛ってない(演技=盛る?)。
生活がたちゆかなくなった母親から離されながらも、バレエに魅せられる少女、一果役を演じたのは服部樹咲(みさき)さん。新人だそうだ。周りのどこにも身の置き所が見つからない、なげやりにも見える表情。人に懐かない子供の顔をしてた。
凪沙と一果。毎日余裕のないキツキツの生活をしている二人が同居する事になる。これは二人にとって不本意なわけだから当然うまくやっていこうという気持ちもなく、ギスギスしたものだ。
それでも日を重ねるごとに、苦しい立場の者同士、哀れみもお互い感じるようになる。共感のような。
でも一果はある日バレエと出会う。自分が熱中できて人より抜きん出られることを見つけたのだ。
バレエを続けるために凪沙に内緒でやばいバイトもするが、凪沙はとうとう一果が踊る姿を目の当たりにすることになる。
自分の夜の職場で仲間と客のぐっちゃぐっちゃの喧嘩をしている、その先のスポットライトの中に。一果の踊る姿を。自分の希望を。
誰でも身近な若い人が、一生懸命無我夢中になってるのって応援したくなるものだ。それは母親じゃくてもいいんだよ!と凪沙に心の中で言ったんだけど。
この映画は全編にわたって心が痛むシーンが多いんだけど、手術の場面はなくてもよかったんじゃない??って勝手だけど、見た直後には思ってしまった。

ほっとするシーンは2箇所だけ。
一果が凪沙にせがまれてバレエを教わる、夜の公園の場面。
凪沙の踊りがなんとかバレエらしくなったところで、それをベンチに座ってみていたおじいさんが二人に拍手して「踊りがお上手ですな、お嬢さん方」とかいうところ。いい感じ。その後に続けてこの先を暗喩するようなセリフも言うんだけど、そこじゃなくてこっち。
もう一つは、一果のバレエの先生が凪沙と今後のことについて話しているとき、思わず知らず凪沙に「お母さん」と呼びかけるところ。凪沙の嬉しそうな笑顔が私も嬉しかった。

最後に。この映画で考えを改めさせられたことがあった。
私はトランスジェンダーの人たちに対して偏見はない、と話題になるたびに思っていた。でも偏見はないけど意見もそんなにない、じゃダメだなと。
手術シーンは無くても、、と言ったけど現実世界では手術や治療に助成金があって然るべきでは?くらいに思う。(今のところの意見)


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