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満州国向けの「スーパーセミイコンタ」


 「イコンタ」は、カール・ツァイス財団傘下のツァイス・イコン社が1929年に発売した蛇腹式6x9判のスプリングカメラです。6x4.5判が登場したのは1932年。
 この個体は、ドレーカイル式の距離計連動装置を搭載した「スーパー」モデル。レンズは「テッサー7cmF3.5」で、シャッターレリーズはボディー側にあるボタン式。「コンパーラピッド」の表記が見られるので「スーパーセミイコンタII」ということになるでしょうか。
(米国式の呼称だと「スーパーイコンタA」ということになるのかもしれません。革の部分には「SUPER IKONTA531」と型押しされています。)
 ツァイスのレンズはシリアルナンバーから製造年を特定できますが、このテッサーは1936年製です。

畳むとポケットに入るほどコンパクト。それに軽い。

 この個体の興味深い特徴は、背蓋を開けると露わになるカメラ底部に「for Manchoukuo(満州国向け)」という文字が刻まれていること。つまり仕向地が「満洲国」であることを示唆しています。

カメラ底部の刻印

 1932年に“建国”した”満州国”については、国際連盟加盟国の多くはその独立を認めませんでしたが、その後の防共協定等の動きもあり、1937年11月のイタリア、12月のスペイン(フランコ体制下)に続いて、1938年5月にドイツが満州国を承認しました。
 従って、このカメラがドイツから満州へ渡ったのは1938年以降であると考えられます。
(大木毅氏の『戦史の余白』によると、ドイツは、1938年に親日政策に大きく舵を切る前は、親中政策に傾いており、蒋介石の国民政府直轄の中央軍の近代化に注力していたとのこと。)

 この刻印版の生産数や希少性についての詳細は、私は把握できていません。ただ、Wehrmacht(ドイツ国防軍)やLuftwaffe(空軍)の刻印のついたライカなんかだと、とんでもない価格で取引されるのでしょうが、この刻印入りスーパーセミイコンタは、かなり手頃な価格で店頭に並んでいました。

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 さすがに、今、このカメラで実際に撮影することはほぼなく、いきおい、実用とは遊離した観念的な翫賞になりがちです。

 田中長徳氏のシニカルな毒に満ち溢れた「カメラ悪魔の辞典」(知恵の森文庫)でも、スーパーイコンタシリーズについては「ツァイスでしか可能ではなかったといえるほど仕上げが良い」との表現が見られます。
 その金属や革の手触り、ビックリ箱のような作動を愛でつつ、このカメラの経てきた歴史について、勝手にロマンチックな想像に耽り、空虚な妄想を膨らませる。ベルトルッチの『ラストエンペラー』や平山周吉氏の『満洲国グランドホテル』に描かれる幾多の人間像。石原莞爾という鬼才の世界観や実行力等々・・・。

 しかしながら、「おもろうてやがて悲しき」ではないですが、やはり”満洲国”の歴史はあまりに重く、深刻・切実であり、享楽的な骨董趣味で悦に入るような余地はありません。
 満州事変は戦前日本で政党政治が崩壊して軍部の時代に転じた大きな転機。満洲国滅亡後の引き揚げや抑留をめぐる数々の惨劇にも思いを致さざるを得ません。もちろん中国の方々にとっては、屈辱と苦難の歴史を想起させるものでしかないでしょうし。

 激動の歴史の証人、国家規模での壮大なつまずき・失敗の戒めとして、このカメラには防湿庫で平和な余生を送ってもらいたいと思っています。

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