すべて自分の思い通りになっている

激動にしたのは、自分自身かもしれない。2020年から5月から、いや本当はその数か月前から予兆が表れ始めていたのかもしれない。あたしの人生は、旦那の海外赴任から音を立てるように変わっていたのかもしれない。もしかしたら、恐れながらもそれを求めていたのもあたしなのかも。そんなことを考え始めると、人生というのはひょっとしたら、すべて思い通りになっているのかもしれない

そう、す・べ・て 自分の思い通りになっているのかもしれない

私が子供を産んでから恐れていたこと、それは旦那の海外赴任だった。当時のママ友の旦那(実は私が精神的に病んでしまって、縁を切ってしまったのだが)と私の旦那は同じ会社に勤めていたのだ。二人でずっと海外赴任やだよねーなんて言っていたのが4年前。どこかですごくビクビクして毎日を過ごしていたのだ。ある日、旦那がご飯食べた後ゆっくりしていた時に

「海外赴任が決まった」

と言い出した。その瞬間あたしは、パニックの発作を起こした

「どこに、ついていけるの??」

矢継ぎ早に質問をして、大泣きをしていた。

「そんなん絶対断ってきて!!!!」

これが私が出した結論だった。たった2泊の出張ですら、パニックになる当時の私にとって3年という未知な年数、そして子供と2人で生きていかなければならないことを宣告された私は、その瞬間から生きる屍になったのだ。今となってはこの自由を手にしてしまってもう手放せなくなった自分は、当時の私が見たら本当に信じられない姿だと思うのだ。

私だけは、そんな風にならないって思っていた。私だけは、ずっと3年苦しみ続けると思っていた。海外赴任をした奥様方がよく言う「亭主元気で留守がいい」なんて言葉を、あたしが感じるなんて絶対に絶対にありえないことだと思っていた。それが今は、もう一時帰国もできなくなりリアルに1年以上も会っていないのだ。なんなら、保育園の警備員のおじさんの方があたしの近況を知っているかもしれない笑。

私は「海外赴任になったら嫌だな」だから「海外赴任にならないで欲しい」ということを願いながら、ひょっとしたら逆の願い「海外赴任になって欲しい」を持っていたのかもしれない。わからない。でもひょっとしたら、それだけ毎日その報告を聞きたくないと願っていたのは、逆の想いがあったのかもしれないと今振り返って思うのだ。それは、毎日じぇんじぇん楽しくない人生を送っていたからだ。すごく毎日が苦しかったのだ。生きていることが苦しくて、育児が嫌で嫌で仕方なかった。教師なのに元々教師なのに、そんなことを思ってはいけないと思っていた。そして車を持っておらず、歩ける範囲でしか行動ができなくて、とにかく窮屈な生活をしていた。

海外赴任を宣告されてからの私は、心療内科に通うことになったし、そこから旅立ちまで苦しい想いをしたことは間違いないのだが・・・

海外赴任になっていなかったら、きっと太ったままの私で、きっとFacebookを覗くこともしていなかったし、カメラも持っていなかったし、仕事もしていなかっただろうし、こんな風に文を書くこともしていなかったし、毎日旦那とけんかをして、文句垂れていた人生を送っていただろうと思うと、人生というのは何が転機になるかわからないし、最悪と思えた出来事が数年後にどう変化して自分の手元に戻ってくるかわからないなと思うのだ。

2020年の激動な1年、個人事業主としても動き始め、2021年私にとっておそらく超激動な1年になるだろうと思うのだ。その予兆がポロポロと自分の前にこぼれ始めている。それは、起業家としてというより、1人の人間として動く時期が来ているような気がしてならない。仕事ということよりも、今まで逃げてきたことに向き合う時が、向き合わざるを得ない時期が来ている。最近、体調をマックスに壊したことも、今胃が痛いことも、今のままじゃダメだよなってサインを出している。こわいぜ、、、、今まで逃げてきたからな、限界の限界を超えてもそれでも逃げてきたことだからな。詳しいことは書かないぜ。

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