私が文字にするとき大事にしていること

1.相手を誰として見るのか

私が文字にする相手を書くときに大事にしていること、それは相手を誰としてみるのかだ。私が今書いているのはDRESSCHANGEの挑戦物語なのだが、文字にするときに気をつけていることがある。それは相手を一人の人間として丁寧に書き出すことなんだよね。それは相手を尊重すること、相手に対する尊敬を持って書き出すという事である。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、尊敬というのはどういうことなのかという部分が人によって違うのではないかと私は思うのである。

私にとって尊敬とは何か

それは、一人の人間が笑顔で生きていたとしても、その向こう側で何を考え、何を大事にして、何を悩み、何を乗り越えてきているのかそういう裏の背景を尊敬して書き出すことに配慮しているんだよね。あたしにとってみたら、乱高下のある人生ばかりを書き起こしたいと思っていなくて、その人にとって乗り越えてきたことが、その人の人生においてインパクトがある出来事なら私は書きたいと思っている。だからFacebookで目立っているからすごい人だから文字にして欲しい、そういう風な方からばかりの依頼が欲しいと思っていないのだ。むしろ私の人生なんて、人に発表できるものじゃないからっていう方にこそ、裏側に葛藤だったり生き様だったりを感じるから文字にしたいと思っているのだよね。いや、それさえも本人は気づいていないと思うのだが、文字にして可視化することで、「私の人生、私らしく歩んでいるじゃん」って気づいてもらえたらすごく嬉しいのだ。それはあたしが元々何もないと思ってきたからだ。そう、つい1年前の私は、文字にする才能があるなんておもってなくて、「なにもない」人間だと思っていた。

でもねだからこそ思うの

原石のない人間なんていないんだって思ったの

2.私が書きたいことを書くのではないと思っている

文字にするときに気を付けていることは、私が勝手に思って字にするものではないと思っているのだ。それは時にただの暴走になってしまうと私は思っている。私は文字にして投稿する前に必ず、書かせてもらった相手に内容を確認してもらっている。それはあたしが聞き取った「相手」と相手が思っている自分との間に差がないかどうかを確認するため。あたしが感じた物事の捉え方はどうしても私の色が出てしまうことがある。でも相手はその出来事をそこまで重く捉えていなかったり、もしくは違う風に捉えていたりする。

例えば、大きな病気をしたときに「ものすごく悲しい出来事だった」と捉えているのか「私にとって起こった出来事の一部でしかないのか」で書き方は全然変わってくる。それを勝手に私が解釈して、文字に出すことは私は嫌なのだ。いくらわたしがそう聞こえたとしても、本人が違うなら違うのだと思う。それなら、私の聞き手としての捉え方と本人の捉え方をわけて書きたいのだ。

私にとって文字にするとは、相手へのラブレターであり、相手をこれ以上考えられないくらいに没頭して文字にしている。それが私にとって、「あなたの想いを文字にします」なのだと思う

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