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飢えているなら働けば? 〜コロナ失業時代に思うこと〜

今年もまた山間部の茶畑で働かせていただいた。2年前、『ホワイトカラー信仰はいつまで続くのか』で書いた同じ町の茶畑で。前回とは違う農家さんでお世話になった。コロナで世界が一変する前、空前の人手不足だの、売り手市場だのと言われていたあの頃から2年が経ち、コロナ禍の今「失業」の二文字が再びニュースを賑わせている。だから春になり、茶の季節がやってきた時、私はシンプルにこう思ったのだ。

「私に声がかかることはないだろう」

全国で仕事にあぶれた人たちが、今ごろお茶(農作業)の求人にとびついているだろうから。

けれど私の予想に反して、3月下旬に連絡がきた。2年前にも農家さんを紹介してくれた友人で、季節労働では大先輩にあたるUちゃんからのLINEだった。女性のバイトがまだ見つかっていない、と。もちろん、農家さんとしてはUちゃん本人に来て欲しかったのだと思うが、他県の山奥にいるUちゃんは、長期では家を空けられないという。本業のフリーランスの仕事に加え、みかん農家、柿農家を手伝い、林業や草刈り(田舎暮らしは草との戦いです。草刈りは重要な仕事)なども頼まれていて、多忙につき茶を刈っている暇はない。Uちゃんによれば、春の一番茶から夏の二番茶まで3ヶ月以上働いた2年前とは違い、今年は4月10日から5月末までの2ヶ月弱。一番茶だけで終わるという。私みたいなの(役立たず)が行って大丈夫なのか?とは思ったものの、もう開始まで2週間を切った段階で人が見つかっていないということは、この際ヘボでもなんでもいい、誰でもいいからすぐに来てくれ!ということなのだろうと解釈した。

とは言え、引き受ければ10日後には下宿先へ引っ越し、5月末まではお茶刈り以外何もできない。それは現実的に可能なのか・・・と考えてUちゃんとも相談したが、悩むまでもなかった。私は「世間一般に言うところの暇人」だったので、すぐに結論は出た。

「はい、行かせていただきます」

急な展開だったため、いちおうスケジュールの調整はした。一つは、去年から参加している森の整備活動(裏山の伐採作業)のチームリーダーに2ヶ月間のお休みをいただく連絡を入れた。この春から私の腕力に合った新しいチェーンソーも買ってもらっていて、それなりに張り切っていた矢先だったので、4月と5月の2ヶ月間も休むのは申し訳なかった。それから有害鳥獣駆除の方も2ヶ月間のお休みをとった。4〜5月は忙しくない時期とは言え、去年から毎日のように顔を合わせ、8ヶ月間で86頭の鹿/猪を一緒に解体してきた師匠のこと。「6月1日には必ず戻ります」を約束にお休みをいただいた。それ以外に、会議やイベントでどうしても畑に出られない日は、Uちゃんが代わってくれることになった。(ちなみに、Uちゃんは畑まで車で片道2時間半かかる)

そんな風にして私の2度目の茶刈りが決まり、いろいろあって(4月上旬の霜被害で開始時期が狂ったりして)4月下旬から5月末まで、1ヶ月と少し住み込みで働き、6月1日に帰宅した。2年前の農家さんほど厳しくはなかったし、寝返りを打つたびに痛みで目が覚めるほどだった両手、両指の炎症も今年はなかった。最終日に腸腰筋がブチん!と音を立てるまでは、前評判(あまり役立たないが、いないよりはマシ)程度の働きはできたのではないかと思う。

ただし結論からいうと、大幅な刈り遅れや刈り逃しがあり、「労働力不足」を痛感させられた一番茶でもあった。当てにしていた男性バイトさんが直前に来られなくなり、畑には60代の親方と私の2人だけ。自分の非力を棚に上げての話にはなるが、本来なら4人でやっと刈り終えられる面積を2人でやるのは無理があった。一番茶の間を通して常に求人は出していたし、季節労働者のネットワークや近隣の農家さんにもずっと探してもらっていたにもかかわず最後まで人材が見つからなかったのは、近隣の農家さんも程度の差こそあれ同じ状況だったから。とにかく、どこも人が足りていない、と。

思い出すのは、ある昼食時のこと。その日も朝7時から畑に出て、刈り遅れていく焦りから休憩するのも忘れてがむしゃらに働き、お昼に納屋に戻って親方と弁当を食べながらニュースを聴いていると、コロナによる失業や貧困の話題をやっていた。メディアお得意の、いつもと同じ切り口の、いつもと同じ「失業」の話。もう聴き飽きたなと思いながら惰性で流し続けていると、これまたいつもと同じ当事者インタビューが始まった。その男性はコロナでほとんど収入がなくなり、まともにご飯も食べられないので炊き出しの列に並んでいるという。交通費も払えないため、東京の炊き出しに並ぶため千葉から長い時間をかけて歩いてきたのだと話していた。このように仕事がなく、食いつめて炊き出しに並ぶ人がコロナ以降急増しているそうだ。ひどい話だと思う。食べられないほど困窮するなんて、なんてしんどい世の中だろう。どんぶりに入った炊きたてのご飯を食べながら、空腹の辛さを思っていたが、「失業」のニュースが一通り終わると、私はポロリと呟いてしまった。

「畑に来てくれたらいいのになぁ」

親方が「ん?」という表情で顔をあげた。親方は寝不足と疲労から昼休みも椅子に座ったまま寝落ちすることが多かったから、たぶんニュースは聴いていなかったのだろう。

「いや、仕事がなくて困ってるって言うてはったから、そんなんやったら畑手伝ってくれたらいいのになと思って。千葉から何時間も歩いて炊き出しに並ぶくらいやったら、ここへ来たら仕事もあるし、お弁当も出るし、ご飯もお腹いっぱい食べさせてもらえるし、私やったらそうするなぁって。こっちは人がいなくて困ってるのに、なんで来てくれへんのかなぁ。来てくれたらいいのにな......」

すると親方は「う〜ん」と考えてから言った。

「茶はしんどいから」

確かにお茶のバイトは、他の農業バイトよりもキツイらしいが、それでも20〜30代の若い人なら、あるいは男の人であれば、十分やれるのではないかと思う。少なくとも私よりはマシだろう。「農業経験ゼロ。ペンより重いもの持ったことないらしい」と前評判が最悪だった40過ぎのおばちゃんの私でも、「いないよりはマシ」と使ってもらって、今年もまた声をかけてもらったくらいだから。

いつだったか「指痛」に苦しむ私にUちゃんも言っていた。「この指の痛みって、男の人はならんらしい。もともとの筋肉のつき方がうちら(女)とは違うからやと思うけど。たぶん茶袋担いだりするのも、男の人らはそんなしんどいと思ってないんちゃうかな」

もちろん老若男女を問わず、体の強さや屋外作業への耐性は違うので、中には肉体労働に不向きな若者や男性もいるだろう。ただ、それでも私は思う。もしもご飯が食べられないくらい困窮してるのなら、県をまたいで炊き出しに並ぶ体力があるのなら、ほんの数ヶ月、農家さんでお世話になるのも悪くないんじゃないかと。家賃2万円。昼食の弁当付き。炊き立てのご飯食べ放題。私がお世話になった農家さんでは、奥さん手作りの具だくさんお味噌汁やスープやおかずが付くこともあったし、おばあちゃんが炊き込みご飯やお惣菜を夕飯に持たせてくれることもあった。今年はコロナで自粛したが、とにかく体力を維持するようにと、2年前の農家さんではしゃぶしゃぶや焼肉の食べ放題に何度も連れていってもらった。だから食うには困らないし、お金もほとんど使わないから、2番茶を終えて町を出る頃には、少なくて30万、多ければ100万円くらいの貯金もできているだろう。

もちろん、人材の需給バランスだけを俯瞰して「選り好みしなければ仕事などいくらでもある」という言葉を盾に、安くてキツイと言われる仕事に労働者を斡旋することがどれくらい乱暴かは理解している。私は肉体労働をしているが、同時にライター業もやってきたから。ただ、もう一度現場に立って汗を流し、食える喜びと、刈り捨てられていく茶葉と、農家さんの「ありがとう、助かったよ」の言葉に触れた上で、今、このコロナの時代に、この社会のどこかで飢えている誰かへのサバイバル手段の一つとして、そういう選択肢もあるのではないかと言いたいのだ。

朝、入札会場で順番待ちをしていると、荷台に茶葉を積んだ軽トラが次から次へとやってくる。前の車も、後ろの車も、自慢の茶葉を積んでいる。たくさん積んだ軽トラもあれば、それほど多くない軽トラもる。私の車に積まれた茶葉は残念ながら多くはないが、それでもそれは、昨日の朝から晩まで畑に出て刈ってきた茶葉であり、そこから蒸して乾かして、親方が夜を徹して選った大切な商品であることに変わりはない。入札を終えて産業レポートをもらうと、茶葉(宇治茶)の収量が例年の6割程度に落ちていることや、コロナで価格が暴落した去年とは違い、今年は品種によってはそれなりの値がついていること、4月初旬の霜害もあって全体的に刈り遅れが目立つが、値段のいい品種を中心に刈り取り強化を促す旨などが書かれていた。そして親方の畑にも、その対象となる品種はあった。刈れば金になる。でも二人では到底刈りきれない。あと一人でいい、テックス(遮光カバー)を巻いてくれる子がいたら、刈り取った芽を軽トラに積んで工場まで運んでくれる子がいたら、もっとガンガン刈れるのに・・・。

親方も私も焦っていたし、休憩をほとんど取り忘れ、水分補給も忘れ、毎朝7時から遅い日は夜の7時まで畑に出ていたら、突然親方が倒れて救急車で運ばれた。刈り取り中(ハサミのついた機械作動中)や運転中(山の中の急斜面を走行中)に気を失うと危険なので、本当なら入院してもらいたかったが、代わりの人材はおらず、そうしている間にもどんどん刈り遅れていくので、親方は即復帰して再び畑へ。そしてまたムキになって刈り取りをしてたら、雨がわーっと降り出したので、一旦作業を中断して(茶の芽が濡れると刈り取れないため)雨雲レーダーを見ながら雲が去るのを待っていたところ、いきなりまた親方が失神。降りしきる雨粒を浴びながら、仰向けのまま畑に埋れて動かなくなった親方。嘔吐物が詰まって窒息したりすると危険なので、体を起こして横向けようとするも・・・。おぉ・・重くて全然動かんぞ・・・。一人では何もできず、結局助けを呼ぶことになった。そしてまた病院に行くも、代わりの人材はおらず、すぐまた復帰。6月以降は私もいなくなって刈り取りは不可能となり(茶は一人では刈れないため)、親方はまた倒れてついに入院。畑は放置されたらしいが、つくづく思うのは「手の空いている人が畑に来てくれていたら・・」ということである。なぜなら今年は「刈ればそこそこ金になる」年だったから。

5月31日、最終日の昼前に腸腰筋がブチん!と音を立てた時、私はてん茶工場(こうば)にいた。親方の軽トラには、朝から刈ってきた茶葉が積んであった。工場には我々の前にもう一台軽トラが入っていて、老夫婦が袋に入った芽をコンテナに空けているところだった。80歳を超えているだろうに、その体力に合わせるような僅かな収量だった。腰の大きく曲がったお婆さんが軽トラの荷台に乗って袋を逆さにし、そこから出てくる芽を、お婆さんより力のないおじいさんが腕を伸ばしてコンテナに空けようともがいていた。若い子なら一袋あたり5〜10秒で空く袋の芽が、3分たっても、5分たっても、なかなか空かない。二人とも必死でやっているのに、その僅かな芽がなかなか空かないのだ。見ていてなんだか申し訳なくなったが、誰もがしんどい茶の繁忙期に、他所の農家に手を貸す余裕などどこにもない。老夫婦の作業が終われば、次は軽トラいっぱいに積み上げられた自分たちの芽をコンテナに空けなくてはならないのだ。休める時は休むべし。私に金を払っているのは、あくまで親方であり老夫婦ではない。親方が「手伝ってこい」と言わない限り、体力を温存しておくのが筋だろう。そう思って眺めていたが、老夫婦の作業は一向に進まず、それが終わらなければ親方の軽トラは入れられない。とうとう見るに見かねて、私はお婆さんの横に飛び乗ると、老夫婦の芽を空け始めた。その時である。私は勢い余って、私の腰くらいしか背丈のない(腰が曲がっているため)お婆さんを押し倒してしまいそうになり、とっさに体を捻ってしまった。いつもとは違う、おかしな角度に腰が捻れ、骨盤の奥で「ブチん」と変な音がした。

腸腰筋の怪我は1週間もすれば回復したし、今では思い出すことさえない。一方であの老夫婦の姿は、なかなか記憶から消えていかない。老夫婦の芽を空けた後すぐ次の作業に移った私に、夫婦は何度も頭を下げた。それから軽トラの中にいたうちの親方にも、やはり何度も頭を下げて、それから帰っていったのだった。

失業し、または給料を減らされ、固定費を払うのもやっとになって、いよいよ飢えるという時に、炊き出しをはじめとする福祉サービスにつながることは、とても大事なことである。生きるために助けを受けること。それは誰もが持つ当然の権利である。だから炊き出しに並んだあの男性の対処法は、一点の曇りもない正しいものだったと言える。ただ一方で、こうも思う。老夫婦の芽を空けた後、納屋で昼食を食べていたあの時に、もしもまたあの同じニュースが流れていたとしたら、「仕事がなくて困っています」とまた同じことを繰り返し聴かされていたら、あの時だったらもう「知るかいな」と一笑に付していたかもしれない。こっちは人が来てくれなくて、どれだけ困ってたと思ってるんだ、って。

*次回は、「たとえ飢えても働くな!」と、真逆の視点で書く予定です。







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