たとえ飢えても働くな。〜コロナ失業時代に思うこと〜
仕事がなく炊き出しに並ぶ人がいる一方で、人手不足のために収穫が間に合わず放置される茶畑。雇用のアンバランスについて、人手不足の現場の視点で書いた「飢えているなら働けば?」を、今度は労働者側の視点で書いてみようと思う。
お茶の仕事を通して私は、「自分は季節労働者じゃないから」というセリフを何度か口にしている。仕事をいただいたことはありがたいが、一労働者としての私には「季節労働の常識を受け入れようという気持ちがなく」農作業自体は好きなものの、労働形態にはあまり魅力を感じないので、私としては「いつ辞めてもいい」という思いがあってのセリフだった。
今年の3月末に声がかかった時、提示された労働期間は4月10日から5月末日までだった。ただし、農業は天候などに左右されるので、「日にちが前後することはある」という心づもりはしていた。最短で4月9日には下宿へ移れるよう、4月、5月の予定を空けて、モンペや帽子、背抜き手袋、雨具など、必要な用具を買い揃え、引越し用の荷物を作った。
ただ、あと4日後には引越しというタイミングでも親方からは何の連絡もなく、心配になって私の方から連絡を入れた。どうなっていますか?と。すると、開始は12日か13日頃になりそうとの返事があった。10日ごろに霜がくる予報で、その被害状況を見てからでないと決められないと。2年前にも大きな霜被害があり、どういう状況かはすぐに理解できたので、ひとまず10日夕方の連絡を待つことにした。9日には防霜ファンが回り始め、そして10日に連絡がきたが、想像以上の被害が出てしまったらしく、15日ごろまでにまた連絡するとのことだった。この時点で一部の労働者(遠方からの人など)は現地入りしたが、どこの農家も霜被害で仕事が激減し、人手が余っているという。私は家が近く(車で一時間)、まだ現地に入っていなかったため、そのまま4月いっぱい自宅で待機し5月1日からの作業開始を言い渡された。4月いっぱいは、だぶついている他の人員で十分間に合うからと。
(結果から言うと、4月20日ごろから急に芽が出始めてどこの農家さんも一斉に忙しくなり、今度は人手が足りなくなったため、もっと早く来るよう連絡があった。予定を再再再再再度変更して26日に引っ越し、27日から作業を開始)
5月1日までの待機要請が出た時点で、作り終えた引越しの荷物をいったん解き、「不在」を伝えてあった各所へ予定変更の連絡を入れた。自然相手の仕事なので仕方がないと理解しつつも、私が行くはずだった畑では、今この瞬間にも他所の畑に行くはずだったバイト(余剰人員)が作業をしてるのかと考えると、なんだか自分ばかりがいいように使われていないか?と思えてきた。そしてUちゃんにグチると、そこはピシャっとたしなめられた。
「農業というものがわかってない」と。来てと言われたら行く、待てと言われたら待つ。それが農業バイトなんだと。そしてUちゃんは言った。
「それが季節労働っていうもんやから」
その瞬間、私は反射的に言ったのだ。
「なるほどね。でも私は、そもそもが季節労働者じゃないから」
そして思い出した。2年前にも私は同じトラブルを起こした。二番茶の最初に長雨があり、作業がない日が続くと、私はよく下宿を離れて自宅に戻った。当時は車も持っていなくて、片道2時間以上、電車を数本乗り継ぐ必要があったが、それでも仕事が休みになると家に帰っていた。そんなある日、しばらくは雨休みというので自宅に戻ると、一日してやっぱりすぐに戻って来いとの連絡があった。予報ではその後も数日は雨。戻ったところで作業できるのかな?とは思ったが、言われた通り急いで戻った。そして雨の合間をぬって数時間だけ作業をすると、すぐにまた作業は中止となった。翌日も小雨の予報が出たので、また3日ばかり休んでくれと言われた。要するに私は、わずか数時間の作業のために呼び出されたことになる。これでは家賃だけでなく、電車賃だって払えない。農家さんとしては、本来なら下宿で待機している人を、「今来てくれ」で呼び出して、「はい、止め!」で家に帰すような使い方をしたかったのだろうが、不便な下宿(共同生活)先で、ネットも娯楽も何もないままに、「今来てくれ!」の連絡を待ってじっとしていることが、私には苦痛だった。作業をしていないとは言え、無給で拘束されるのだって腑に落ちない。これでは飼い殺しもいいところだと。だから私は抗議した。
「わずか数時間の作業のために呼び戻さないでください。こちらの生活や都合のことも少しは考えて欲しいです。もし、こんな使い方が続くのであれば、私はもう二番茶はやらずに荷物をまとめて引き揚げます」
その生意気な態度によって、私は農家のお母さんの逆鱗に触れてしまった。その後も二番茶の終わりまで真面目に働いたが、どれだけ挨拶をしても、話しかけても、最後までしっかり無視された。そして当然ながら、その農家さんとの仕事の縁は切れた。(私が親方と呼んでいた息子さんとの関係は、今も悪くはなく、最後も労ってくれたが、お母さんの怒りは最後まで収まらなかった)
けれどもっと驚いたのが、同じ下宿の労働者に「こういう使い方ってひどくないですか?」と話すと、「それを言ってしまったら農家さんがかわいそう!」と逆に非難されたことである。それぞれの世界には、それぞれの世界の常識があり、そんな世界もあるんだなと勉強にはなったが、自分には合わない世界だと感じた。
同じ下宿のある女性は、みかん農家で働いたこともあるらしいが、10日に1回くらい(月に3日)しか作業がないこともあったそうだ。それでも「そろそろ次の仕事に行かせてもらいたい」と農家さんに申し出たところ、「えっ?途中で投げ出すの??」という反応だったらしい。というか、私の感覚からしたら、月に3日しか仕事がないって、それは仕事と言えるのか?どうやって生きていくの?(月収3万円弱で・・・?)というレベルだし、私なら1週間くらい仕事がなかった時点で、何も言わずに次の仕事を始めてしまうと思うが、それでも彼女はサラリと言った。
「いや、でもそれが季節労働というものだから。向こうは来てくれると思ってるわけやから、それを途中で投げ出したら農家さんがかわいそう」
そっ、そうなの?!と思うと同時に、私はまた同じセリフを吐いた。
「よく分からないけど、私は季節労働者じゃないんで・・・」
お前は何もわかってないな!と言われるたびに、私はそのセリフに逃げた。そもそも分かろうという気がないんだと。だって私は、季節労働者じゃないんだからと。そんなやり方は、私にとっての常識ではないんだと。
作業が休みだったある日、自宅に戻った私は犬の散歩に出かけた。すると犬を連れた知り合いが、「あれ、安希さんお茶刈りは?もう終わったの?」と声をかけてきた。
「いや、明日休みになったから一時帰宅してるだけ。親方が畑で倒れちゃって、明日また病院で検査があるから」
すると、会社勤めをしている彼女が不思議そうな顔で言った。
「それってさ、休みの間もお給料は出てるの?」
「いや、出ないよ」
彼女は、私が当初4月10日の開始に合わせて予定を調整していたことや、変更につぐ変更を経て、4月26日に下宿に移ったこと。それに、天候不良や親方の体調不良で、突然の休みがある度に自宅に帰っていることを知っていた。だから疑問に思っていたのだろう。
「でもそれってさ、休みって言っても、その日のために安希さんは予定空けてるわけやん?それで直前になって仕事ありませんって言われても、もう他の予定入れられへんやん」
「うん。入れられへん。でも農業やしそこは仕方がないねん。雨降ってきたらやめ!ってなるし。自然相手の仕事やから。でももっと困るのは待機だけさせられるやつ。休みならまだ他のこともできるけど、やるかもしれんからってずっと待機だけさせられるの、あれが一番時間の無駄」
「えー?! そんなんおかしいやん」
まあね、それをおかしいと思うのは、あなたがサラリーマンの世界で生きているから。なんだか久しぶりに「そうだよねぇ?!」と安心感を覚えた。茶の世界にいると、私がえらく常識外れな気にさせられるけれど、世の中の労働者の多くは「そんなんおかしいやん」って思うだろう。
「今年お世話になってる農家さんは、まだ全然いい方。雨でもたいてい作業があるから。でも基本的にバイトは使い捨てやから」
もっと言うと、私が行っているお茶の仕事(地域)は待遇は良い方だと聞いた。仕事が少ない農家さんもあるが、それでも労働者たちは皆、そこそこは貯金して町を出ていく。それこそ作業が月に3日しかないとか、地域によっては、農家が労働者から滞在費や食費と称して金を巻き上げ、来た時より借金を増やして家に返す、というような悪質なケースもあるらしい。
そんな不安定な仕事でもやるべきなのか?
考え方はいろいろあるが、私自身は、別にやってもいいが、真面目に予定を空けてまでやる必要はない、との結論に達した。どういうことかと言うと、例えば今年のように4月いっぱいまでが待機状態となった場合に、もしも他の仕事や用事が決まったら、そちらを優先するということである。それによって、ただでさえ人手不足に悩んでいる農家さんが迷惑を被ったとしても、なんて無責任なバイトだと後ろ指を指されたとしても、もはや「知るかいな」と思うのだ。なぜなら私は季節労働者じゃないし、私には私にとっての生きていく上での常識があるから。
前回、コロナで失業した人に「飢えているなら働けば?」という挑発的なタイトルで、全く人手が足りていない農業バイトを勧めた。この記事を書いている今も、基本的な考えは同じだし、私だったらイチかバチかでも茶刈りの世界に飛び込んで猛烈に働くだろうとは思う。ただしもう一つの選択肢として、炊き出しに並んだり、例えば失業保険や生活保護を受け取りながら、ひとまず茶刈りの仕事を拒絶して他の仕事を探すというのも、それはそれで合理的だとも思う。ただでさえ飢えかけている人が茶刈りに行って、2週間も3週間も待機させられたら死んでしまうし、農家さんの当たり外れや天候にもあまりに左右されるので、茶刈りの世界に飛び込んで下手に時間をロスするよりは、その間にも飢えに耐えながら就活に励み「安定的な仕事」に辿り着く方が、長い目で見れば正解だと思うのだ。まっ、私があえて言わなくても、みんなそう思ってるから誰も来なかったんだろうけれど。(笑)
季節労働というのは実は、すぐにでも稼ぎたい!という切羽詰まった人よりも、お金にも時間にも余裕のある人に向いている仕事なのかもしれない。開始・終了の時期が曖昧で、仕事量(稼げる金額)が予測できないことに加え、参入するには最低限の用具を買い揃えたり、田舎の町に移り住んだりと、多少の初期投資が必要になる。さらに言えば、投資したものをいつ回収できるかも不明だ。4月と5月の私の給料が現時点(7月下旬時点)でまだ一円も支払われていないことを考えると、食い詰めて炊き出しに並ぶほど金銭的余裕を失っている人では無給期間をしのぎきれないと思う。
だから思うのだ。
現場としては誰かに来てほしい。飢えるくらいなら畑に来て働けばいいと。しかし同時に、もしも飢えるくらい余裕がないなら、やっぱり畑には来ない方がいいのかもしれない。
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