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イタリアと日本

先月イタリアに10日間旅行に行ってきました。飛行機に何十時間も乗る経験は初めてでお尻が痛くなったことも今では微笑ましい思い出。


さて、日本に帰ってきてしばらく経った今、思っていることがある。それは日本は「更新」が早いということ。イタリアでは何百年前の建物が街中に当たり前のようにあって、その中に入ることができる。ずっと変わらずそこにある。それは先日祖母のイタリア旅行アルバムを見てはっきりとわかった。祖母がイタリアに行ったのは13年前。当時の写真を見せてもらったが、建物は何一つ変わらず、変わっていたのは祖母の姿だけだった。何十年も何百年も変わらずそこにあり続けるというのは、日本では中々見られない光景なのではと思う。もちろん歴史的建造物は保護のために残されている。ただ中に入ることが出来なかったり、改修工事が行われたり、”そのまま”ということが中々ないのではないかとふと思った。

イタリアの感覚とは真反対にあるもの、それは日本の、とりわけ東京の食ではないかと思う。『POPEYE 4月号』の別冊付録に平野紗季子さんが編集した『二〇一八年の東京 味な店』というのがある(私の大好きな番組である「セブンルール」に出演されていた回を観て以来気になっている人。「セブンルール」愛はまた語る)。そこで彼女は初めにこう語る。


「この冊子の制作の間にも取材しようと思っていたお店が何軒かなくなってしまった。好きだったはずなのに、なくなっていたことを、知らないお店もあった。」(『二〇一八年の東京 味な店』はじめに)


東京は流行り廃りが早い都市だと思う。海外旅行で日本を訪れた人たちは、いつ来ても新しく進化している東京を楽しいテーマパークのように思うかもしれない。でも、私はその姿を異様だと思う。東京に住んでいるわけではないので何もわかっていないと言われるかもしれないが、一歩離れた場所にいるからこそ、その姿が異様に思える。良いと思ったお店がなくなるのが早いこと、異様なスピードで建物が変わっていくこと、多くの人がせわしなく動いていること、東京についての雑誌が多いこと(入れ替わりが早いからだと思う)、まるでそこにずっと台風が居座ってるみたいだ。それはいつまで居続けるのだろうか。そんなことを思いながら今日も東京の雑誌を見ていたりする。


最近思うのは東京でお店を閉店した人たちが地方で再びお店を開いて街を賑やかにするのはどうだろうかということ。名店といわれたお店でさえ東京では閉店してしまう世の中だ。東京でお店を閉店してしまったが、地方で再び開店されたと聞いたら多くの方が訪れるのではないだろうかと思う(少なくとも私ならそうする)。アクセスの問題はあるかもしれない。けど世の中便利、便利と便利ばかりを主張されて大切なモノを失っている気がするから、遠くとも好きな味や人を大切にしなければいけないのではないかと思う。便利ばかりではなく、少しの不自由を楽しむ心を持っておきたい。便利な世の中だからこそ、不自由を楽しむ心が大切なのではないかと思いながら今日もボケーっと空を眺める。


と、まあさっきまでは流行り廃りが早いんだ、ばっきゃろーっということを書いていたけれど、日本では流行り廃りが関係ないものもある。例えば万葉集。1000年近く前にもかかわらず、今でも現存し読まれている歌集。昨日公開された『ちはやふる 結び』では、句を読むと一瞬の情景を思い浮かべることができると言っていた。それがまるで写真のようだとも。その時の恋焦がれる思いや情景を限られた字数の中で表現するというのは、とても難しい。だからこそ、1000年の時を越えて私たちの元へと届く。


今の私たちは、1000年以上時を越えられるような何かをしているのだろうか。なにかを残せるのだろうか。そんなことを考えている。

考えがまとまらなくてグダグダな文章だ。今のグダグダな自分にぴったりだ


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