幸福について
嗤ってしまうほど何も上手くいかない日はあって、
そんな書き出しを以前もした記憶があるけれど、
今日もまた、そんな一日が巡ってきたのである。
——————
通勤前に寄ったクリーニング屋が時短営業でまだ空いていなくて、
それならばと朝食を摂りに入った喫茶店で、サンドウィッチの中身をスラックスにこぼした。
仕事は仕事で珍しく良いことがあったと思ったら、
その作業途中のしょうもないミスに気づかず、あとでまぁまぁの大目玉を喰らったり。
開店時間を調べておけば良いのだ。皿の上できちんと食べれば良いのだ。作業工程を落ち着いて確認しておけば。
なまじ自分の注意でどうとでもなる内容であるだけ、
それぞれがそれぞれ、
心に落ちる影をなんとなく、少しずつ濃くしていく。
手放しで喜べること?
お昼に食べたうどんの麺がしっかり冷やされていて、美味しかったことくらい。
——————
自分の人生は幸せだと思うか。
少し前に、そんな質問をされた。
それに対する私の返答は、いつだって是である。
人を恨まず憎まず、まぁまぁ健康な五体満足。
金ばっかりかかる大学を出させてもらって、
不満たらたらとはいえ、定職にもどうにか就けている。
書き連ねると改めて、本当に恵まれていると思う。
幸福というものは結局、捉え方のひとつのそれであって、
たとえ宝くじで一山当てたところで、平等の喜びがその全員に与えられるわけではないのだろうな、
なんて、そんな手垢の付いた綺麗事に思い至るほど
いつの間にか気持ちが落ち込んでいるようである。
自分の語彙で自分が励まされるのだから世話はない。
いや或いは、それもまた自分の幸福な人生の一部なのかもしれないな、などと。
取り留めのない思考が漂ったまま、
今日もまた通勤電車が答えのない夜を切り、
けたたましく進んでいく。
ヒモ志望です。とっても上手に甘えます。