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『小林古径と速水御舟』@山種美術館_20230623

『小林古径生誕140年記念 小林古径と速水御舟 - 画壇を揺るがした二人の天才』(会期:)ということで、山種美術館で行われている特別展に行ってきました。『重要文化財展』につづき、明治以降の日本画を意識的に観に行っています。

まず山種美術館は、山種証券(現SMBC日興証券)の創業者である山崎種二(1893-1983年)が個人で蒐集したコレクションをもとに1966年開館した初の日本画専門の美術館です(山種ってキムタク的な名前の略称だったのね)。当時の画家と交流し、横山大観から世の中のためになることしたらと言われて美術館を設立したそう。二代目館長である種二次男、山崎富治(1925-2014)の代になり、さらに多く所蔵を増やしている。まず当時の日本10大総合商社の一角を為した安宅産業が第一次オイルショックによって事業に失敗して1977年伊藤忠商事に吸収された際に、安宅コレクション内の速水御舟作品106点を住銀の常務が富治に購入を依頼して、一括有償譲渡されている(安宅コレクションはその他多く東洋陶磁を多く所有していて、それらは最終的に大阪中之島に大阪市立東洋陶磁美術館を建てて納められている)。他にも東山魁夷に作品制作を依頼するなど、知識が少ない私でも知っている日本人画家の作品がたくさん。ちょっと恵比寿とか渋谷から歩いたところにある美術館だけど、和菓子も可愛いし、素晴らしいです。(まぁ手前にあるダヴィデ像もすごいよね)

さてさて本題の小林古径と速水御舟へ。
種ニと古径は交流があり、山種美術館を設立するならばということで《清姫》の購入を許されたというお話もありますが、御舟とは交流はなかったみたい。ただ御舟の作品は好きだったということで館長を譲った後一括で100点以上の作品を手に入れられた時は心躍ったと思うわ。

今回は古径生誕140周年の特別展で速水御舟とのコラボということで、2人の共通点は、院展で活躍したこと、大正半ばに共に細密描写で写実的な色合いを強めたこと、原三溪からの支援、そして渡欧経験とのこと。ここから先は展覧会を見て気になった所を調べつつ、まとめます。


古径と御舟は紅児会(こうじかい)で出会う。紅児会とは1898年に小堀鞆音(こぼり ともと、1864-1931、歴史上の事件や神話を取り上げた絵画ジャンルで最も重要とされる「歴史画」の第一人者)門下の3人で結成された紫紅会に、1900年今村紫紅が加わり紅児会と名を改め発足された。そこに古径、後に古径と渡欧する前田青邨、そして御舟が加わるのである。紅児会は歴史画研究を目的として発足されたが、その後1913年に解散し、日本美術院(院展)へと移っていった。

そして古径は1914年の院展で入選を果たし、1922年には日本美術院留学生として渡欧留学をしている。1946年《猫》を描くためのスケッチには、この時エジプトで見たバステト神の図像も含まれていたそう。ぴーんとした耳は正面を見つめる姿は、たしかに似てる。

古径《猫》1946
猫の姿をしたバステト神

そして大英博物館で見たとされる中国東晋の画家顧愷之の《女史箴図》からインスピレーションを受けて、線描写に目覚めその後の《清姫》へとつながるみたい。

顧愷之《女史箴図》

古径は1930年に《清姫》という一連の作品を完成させる。清姫の題材は道成寺に伝わる安珍・清姫伝説であり、僧安珍に思いを寄せていた清姫は裏切られ、安珍を追って蛇となり最後は道成寺の鐘で安珍を焼き殺すストーリー。古径は8面で表し、その全てが展示されているので、動きのある清姫や最後の入相桜など様々な感情が溢れ出て見どころたくさん。(髪の毛の繊細さなどが線描写からの影響なのかな)

《清姫》「日高川」1930


あと個人的には、古径《河風》の水の表現がよかった。今村紫紅のやまと絵に南画を取り入れた影響とのことだが、詳細はより勉強する必要がありそう。

古径《河風》

一方の速水御舟は松本楓湖(まつもと ふうこ、1840-1923、狩野派や琳派、南蘋派に学び花鳥画が得意だった沖一峨に学んだのち、菊池容斎に入門し、その歴史画を継承した)主宰の安雅堂画塾に入門し、その際兄弟子だったのが今村紫紅で紅児会へとつながる。この時期は南宋古画ややまと絵などの粉本(ふんぽん)を多く模写したそう。

さて、御舟は岸田劉生らが「白樺」(1910年-1923年までに全160冊刊行した文芸・美術雑誌)を通じて、細密描写により質感を徹底的に追求した作品を描き始めたことに注目し、それを日本画に持ち込んだ。そしてそこから院展の画家たちへと広がりを見せる。劉生と御舟は二人展の話もしてたほどだったが、御舟の早すぎる死によって実現しなかった模様。

余談だが、岸田劉生の細密描写ってどんなん・・・と思って調べてたら1915年に描いた《道路と土手と塀(東京国立近代美術館)》がそれに当たるみたい。『重要文化財展』で見たけど、これがデューラーや北方ルネサンスからの影響かーとちょっとよくわからなかった。

そして御舟は細密描写と宋代院体花鳥画との共通点を見つけ、前年に生まれた長女彌生の初節句のために「接折画」の様式で描いたのが《桃花》だそう。

御舟《桃花》1923

今回の展示展で奥の薄暗い部屋に飾られる《炎舞》。グッズ販売の先にあるので、見落とした人もいたみたいで、グッズ販売後に店員さんに教えられてあわてて《炎舞》を見てる人ももいた。それは危ない、もったいない。

重要文化財に指定される御舟の最高傑作とされる作品で、夏に軽井沢を一家で訪れ毎晩焚き火をしながら、そこに群がる蛾を描いたそう。なんというか、本当に絹本に描かれた日本画の魅力は、本物の質感を見ない限り伝わらないと今回しみじみ思いました。ここに画像を貼り付けても何にも心揺さぶられないけど、現地に行って見たらもう火の荒々しさと、蛾の儚さと、周りの夜の黒々としたでも漆黒ではない微妙な雰囲気とかが一気に視覚から流れ込んでくる感じがすごい。これが今まで私が日本画ってちょっと・・・って謙遜してた理由だとはっきりした。それは教科書で見てただけの拙い線に見える絵を見せられても何も感じないわ。。でも実際に見るとその線にものすごい迫力が備わってるのは、油彩やフレスコ画で描かれたものとはまた違う魅力を求めることができると思いました。

御舟《炎舞》1925

ちなみに私は、《炎舞》よりその延長線上で描かれた昆虫二題のうちの 「粧蛾舞戯(しょうがぶぎ)」の方が、吸い込まれていく感じで好きでした。これも本物を見る価値がある。

御舟、昆虫二題 《粧蛾舞戯》1926

そんな感じでしょうか。グッズは絵葉書とかクリアファイルとかメモ書きとか多かったですが、ぜひ最近西洋画展で多い油彩画の質感だしてみました的な少し値は張るけど味のあるミニチュア絵画を作って欲しいものです。

おしまい

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