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《美しきシモネッタ》@丸紅ギャラリー_20230131

2022/12/1から2023/1/31まで開催されていた丸紅ギャラリー開館記念展Ⅲボッティチェリ特別展に最終日駆け込みで行ってきました。


丸紅ギャラリーHPより

《美しきシモネッタ:La Bella Simonetta》は日本に唯一存在するサンドロ・ボッティチェリの作品であり、1969年にイギリスから輸入されて日本の大手総合商社である丸紅が所蔵しています。ボッティチェリといえば、《春(プリマヴェーラ):ウフィツィ美術館》や《ヴィーナスの誕生:ウフィツィ美術館》が有名ですが、どれも有名すぎて思い返すとあまり日本で開催される企画展で見たことがないかもしれません。この企画展は美術展であるにも関わらず作品はこの1点のみという独特なコンセプトで、丹念にモデルであるシモネッタの出自や当時のメディチ家ジュリアーノとの関係性、近年になってのこの作品の発見と丸紅に所蔵されるまでの変遷、その真贋、そして美しきシモネッタが様々な人の感性に与えた影響などを紐解いていました。

ちょうど卒論を書き終えたばかりの私にとって、この企画は1つの論文を紙面上から絵画を中心として空間に展開したような印象を受けました。あたかも論文の中に入り込んでしまったような、適切な一次資料の提示と仮説検証が立体的に絵画を柔らかく包むような場所でした。

ざっくりまとめ

図録を読んで面白かったところなどをまとめます。

幼名シモネッタ・カッターネオ(1453-1476)はジェノヴァの裕福な商人の娘として生まれ、15歳で同い年のマルコ・ヴェスプッチと結婚しました。航海者アメリゴ・ヴェスプッチ(1454-1512)は、いとこにあたるそう。ジュリアーノ・デ・メディチも1453年生まれで、みんな同級生。

ジュリアーノの兄であるロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)が21歳でフィレンツェ共和国を統治し始める際に、その戴冠を記念して開かれた馬上槍試合でシモネッタはフォレンツェの社交界にデビューし、メディチ兄弟からことのほか愛される存在となったとのこと。シモネッタは野外舞踏会で三美神を体現するかのようにカンツォネッタを踊るなど、フィレンツェ市民の心を独り占めしたなんて、どれだけ美しくまた教養に溢れた人物だったんだろうか。

特にジュリアーノはシモネッタの愛人と言われてるけども、本当の関係性は意見が割れており、「愛人(イナモラータ)」だったとする説と、2人の仲は実際にはそれほど進展せずにプラトニックな関係だったとする説がある。

皆に愛されたシモネッタに憧れたのは、メディチ家に出入りしていたボッティチェリも同じで、なんと自分が死んだらオニサンティ教会にあるシモネッタの墓の近くに埋葬してほしいと頼んでいたなんて、みんな人妻好きすぎないでしょうか。いち画家がそんなことを言えるなんて、画家とは当時どういう存在だったのか改めて考え直す必要があるなと思いました。

シモネッタは23歳という若さで肺結核のため亡くなり、次第に執り行われた葬儀には、ミケランジェロをはじめ、フィリッポ・リッピやレオナルド・ダ・ヴィンチも参列していたとされています。

ボッティチェリが描いたシモネッタの肖像画は、丸紅所蔵のものと、フランクフルトのもの、そしてオックスフォードの素描の3点。

ボッティチェリ《理想化された女性像(ニンフ風のシモネッタ・ヴェスプッチ)
フランクフルト、シュテーデル美術館
ボッティチェリ《女性の頭部》オックスフォード、アシュモリアン博物館

複数あるシモネッタの肖像画についてその肉体的特徴から、初期の貞淑な妻としてのシモネッタから、公的なシンボルとしてエロティックな色合いを帯びて、最終的に彼女は神格化されヴィーナスのような美を表すように変化する様子が記されている。

シモネッタの夫マルコの父ピエロ・ヴェスプッチはロレンツォのピオンビーノ大使を勤めていた軍人でしたが、メディチ家と対立していたパッツィ家が起こした「パッツィ家の陰謀事件(1478年)」(これによりジュリアーノ・デ・メディチが暗殺される)に加担していたため、ロレンツォによって終身刑に処されたそう。この事件の裏には1475年に馬上槍試合以降ジュリアーノが息子の嫁であるシモネッタにしつこく言い寄ってたことでパッツィ家と接近したという裏事情もあるようで、人間模様が凄まじい。また獄中でピエロがロレンツォの母ルクレツィアに手紙で助けを求める際に、シモネッタの死後(1476年4月)、意気消沈のジュリアーノにピエロがシモネッタの肖像画を贈って慰めてあげたというメディチ家への忠誠心?みたいなものが記したそうで、図録の著者はその肖像画こそ丸紅が所蔵する《美しきシモネッタ》ではないかと考えているところも、面白い。(息子の嫁の肖像画やらドレスを彼女に恋焦がれる愛人的な人に贈っときながら妬み恨みでメディチ家を裏切ろうとするなんて。)

ちなみに丸紅所蔵の《美しきシモネッタ(La Bella Simonetta)》は矢代幸雄『サンドロ・ボッティチェルリ』(第2版、1929年)に由来するそうで、それまでは《若い女性》や《若い婦人の像》など、シモネッタはメディチ家と紐づく個のアイデンティティを剥奪され、理想化された美としてモデル名を付さない肖像画となっていた。ヴァールブルクがシモネッタの存在についてドイツ語で論文を記したが、意図的にか英訳されず、それによって米国の美術史家はこの見解を知らなかったというのも、最近語学に追い詰められている私としては耳が痛い。



ちょうど年末に惣領冬実『チェーザレ』を読んだところだったので、愛人だったジュリアーノなどこの時代はどこを切り取ってもドラマになる瞬間だったのかなと思いました。

チェーザレ繋がりで、次に読みたい本はこちら

辻邦夫『春の戴冠』シモネッタの肖像画に関する記述について、図録ではどの絵が該当するのか検討している。


あとは、のちにジュリアーノの遺児である教皇クレメンス7世(ジュリオ・デ・メディチ)がマキャベリに『フィレンツェ史』を書かせるけど、その前にロレンツォに向けて書かれた『君主論』も捨て難い。マキャベリはチェーザレこそ理想的な君主として、この本を書いているのでその当時の姿が理解できるはず。


1つの絵でどこまでも広がる素晴らしい企画展でした。



参考文献


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