私が小児科医になるまで①

お久しぶりです

がんばってつづけようと、思っていたはずなのに、すでに少し時間があいてしまいました。

その間にも、コメントやスキをたくさんいただいて、びっくりしています。たいしたことも書いていないのに、読んでもらえているんだ、と。

まあ、気負わずに、ぼちぼちやっていきます。

そもそもなんで私はこの職業を選んだのか・・それも小児科医だったのか。今日は少し自分を振りかえるためにも書いてみようと思います。

幼少期からずっとピアノを習っていて、子どものころの夢は「ピアニスト」と毎回答えていました。小・中学生のころは放課後に友達と遊んだり、部活をしたり、という記憶は少なく、学校から帰ったらピアノの練習、終わったら夕食、家族との時間。その繰り返しでした。お休みの日も朝から練習、というのが当たり前の日々でした。

高校に入るころ、音楽科か普通科か、というまず最初の人生の分岐点がありました。中2までは何の迷いもなく、「音楽科」と思っていたはずなのに、3年生になってから徐々にその考えが揺らいだことを覚えています。

実際、音楽って才能が重要なんだな、と考える時間が増えていて、努力しても最後は才能がものをいうんじゃないかな、と、ピアノの前に座るのが苦痛になる時間がありました。

でも親にもなかなか言えず、毎週のレッスンの日がストレスでした。そんな時、始めたときからずっと関わってくれていたピアノの先生が「音大に行く人の多くは普通の高校から行くんだから、音楽科にこだわらなくてもいいんじゃない?」と言ってくれました。その言葉に後押しされて、高校は普通科に進学しました。

この普通科に行ったことが1つ目の分岐点でした。

高校に入って、変わったこと。なぜか勉強が楽しくなったんです。頑張れば目に見える結果としてあらわれて、今までに感じたことのない嬉しさがありました。たまたまその時私が好きになった科目が、化学と数学だったこと、担任の先生が化学の先生だったことも運命だったのかもしれません。

徐々にピアノ<勉強、と気持ちが変化していきました。そんな時、保健の授業で、思春期内科のお話がありました。どんな内容だったかは覚えてないんですが(先生ごめんなさい)なんともいえない衝撃を受けて、将来の夢に「医師」という選択肢が生まれた瞬間だったことははっきり覚えています。ピアノに対して向き合っていく自信がなくなっていたこと、自分が想像する以上にそのころストレスに感じていたことを思い知らされたような気がしました。

「ピアノをやめたい。医学部に行きたい」漠然とした思いが少しずつ強くなっていきました。でもピアノを10年以上続けてきて、金銭的負担もかけていたにも関わらず、娘の夢を応援してくれていた両親に、なんて言おう、どういえば親を傷つけないんだろう、など本当に思い悩みました。

その時に助けてくれたのが、担任の先生でした。自宅まで来て、両親に一緒に話をしてくれました。「ピアニストにならなくても音楽は一生続けることができます」、と。

両親は少なからずショックを受けていましたが、二人とも最終的には、あなたの人生、あなたのやりたいことをすればいい、それを応援するから、と言ってくれました。

そして高校1年が終わると同時に私はピアノをやめ、本格的に医学部受験を目指すこととなったのです。ここが2つ目の分岐点です。


長くなりますので、とりあえずここまでとします。


いろいろありましたが、両親には本当に感謝しています。父を15年以上前に亡くし、以後母と2人きりの家族です。今は父への分も母に恩返しできたら、と思っています。



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