小さな小さな奇跡の話。
司書として赴任した最初の職場は、小学校の片隅にある総合施設の児童館の隅っこにある、いわゆる分館とか出張所みたいな図書室で、
場所柄小学生の利用者がとても多いところだった。
図書館に来る子は大体客層がなんとなくおとなしめの子なんだけど、彼は異彩を放っていた。
いわゆるヤンチャ坊主で常に大人の出方を試すようなタイプ。
でも電車が好きで、よく他の図書館の所蔵資料を取り寄せしていた。イタズラやいじわるもするけど本は傷つけない。
彼が来ると女の子はすっと席を立って去っていく。
困ったところもあるけど私は彼をおもしろい、話し甲斐のある子だと思っていた。
ちょっと情緒が不安定で、しばらくしたある時、彼の母親から「すぐに帰れ」と図書室あてに電話がかかってきた。
伝えると彼は一瞬とまどってから、読んでいた本を手渡し「この本とっといて」と言い残して去っていった。
総合施設の事務所は共用で、老人会館の職員の方と休憩でお茶を飲みながら話していると、彼の母親がシングルマザーでいわゆるアルコール中毒、子供を殴ってお酒を買いに行かせてるという話を聞いた。彼女を子供の頃から知っているというその人は「子供の頃はやさしくて、とてもいい子だったのよ」と、悲しい顔をしていた。
私のできる「お仕事」の限界を感じた初めての時だった。
数年後、私は本館に異動になって、高学年になった彼はどうしているかと聞くと、他館にも行くようになった彼が職員と大喧嘩をし、資料を破り捨てて出入り禁止になっている、と聞いた。
私は父の失業に伴いもう少し稼ぎのいい仕事に就こうと、図書館の仕事を辞めた。新しくついた仕事は派遣ながら研究所のデータ入力の仕事で、交通費を入れても十万円代前半だった収入はほぼ二倍になった。
結婚して、しばらく経ってから仕事を辞めて中学で学校司書の仕事をしていたときも、彼のことは時々頭をかすめていた。元気にしているだろうか。まだ誰かに憎まれ口を叩きながら、甘えられる人を探してるのだろうか。力はお母さんに勝てるようになっただろうか。自分を守れているだろうか。
たまたま、電車で女性が急に産気づき車内で出産のニュースに「生まれた赤ん坊の入場料って取られるのかな」とコメントがあり、「子供料金は6歳からだからとられませんよ」と答えている人がいた。
名前に見覚えがある。
プロフィールに書かれたフルネームは彼と同じ名前だった。
「電車が好き」と書いてあった。
昔私の勤務先の近くに住んでいた、と書いてあった。
彼だ。
生きてた。
ここ数年で一番神様に感謝した。
これは小さな小さな奇跡の話。
母親に殴られて来る君に電車の本を提供して少しおしゃべりするの、私の小さな楽しみでもあったんだよ
あの時君をひきとめるしかできなくて、
居場所になるしかなくて、
何もできなくてごめんね
…生きててくれてありがとう。
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