おっちゃんのこと。

叔母が亡くなった当日。

祖父母は、葬儀などの準備や、体調と体力の回復のために、八王子の家に戻った。
母も疲れきったようで、眠ると言ったので、寝ずの番をするのは必然的に私になった。
まだ神経が昂っていて、眠くはなかった気がする。

たくさん出入りしていた人々が帰ると、何も言わない叔母との時間はとても長く感じた。

寝ずの番のためにあるお線香があった。
蚊取り線香のような形状で、渦の真ん中に吊るすための糸のようなものが付いていて、それを細い金属の台に吊るして使った。
かなりの時間、灯っていたように思う。

1人だけ、母の店のお客さんが残ってくれていた。
みんなから『おっちゃん』と呼ばれていた、当時60代くらいの白髪で独身の男性。
いつもニコニコしていて、あまり話さないけれど、お酒が大好きで、お気に入りのカラオケが流れると独特の振りで踊る、かわいらしくてみんなから愛されている人だった。

おっちゃんはお酒が本当に好きだった。
その時のことは少し記憶が曖昧だけれど、叔母の遺体と、私と、おっちゃん。
おっちゃんはお酒を飲んでいて、いつものように細い目をさらに細くさせてニコニコしていた。

私もおっちゃんのことは『おっちゃん』と呼んでいた。
おっちゃんは寝ずの番をする私と夜を明かしてくれるという。

『おっちゃん、なんだかすみません』
『いいんだよォ、俺には、このくらいしかできないからよォ』

おっちゃんがいてくれたことはとても心強かった。
特にすごく親しかったわけでもない。
でも、まだ17歳だった私が叔母を亡くして寝ずの番をしているのを、おっちゃんはきっと心配してくれていたんだろう。

本当に優しい人というのは、ピンチの時に手を差し伸べてくれる人だと、今も思う。
おっちゃんは恥ずかしがり屋だけどきっととびきり優しい人なんだと思った。

明け方まで、たわいない話をしながら、お線香を絶やすことなく私は起きていられた。
おっちゃんはずっとお酒を飲んでいたけど、眠らなかったし、ニコニコしていた。

明け方、近所の早朝からやっているお団子屋さんのシャッターが開く頃に、おっちゃんは帰って行った。

・・・

おっちゃんはそれから数年後にガンで亡くなった。
体調を崩し、痩せて、それでも母の店に来てくれていた。
私は厨房にいつもいて、料理を受け渡しする小窓からおっちゃんが見えると、いつも手を振った。
やっぱりおっちゃんはニコニコしていた。

亡くなる少し前、ほとんど何も食べられなくなっていたおっちゃんが、負担なく食べられるものがないかとリクエストをくれた。
私はいろいろ考えたけれど、卵とつぶしたコーンで、中華風のとろみがついたスープ(粟米湯)を作った。
おっちゃんは『うまいなあ』と言って、ゆっくりだけれど全部食べてくれた。
その時がおっちゃんとの最期だったと思う。

おっちゃんの訃報を聞いた時、私はとても寂しかった。
寝ずの番のお礼もちゃんと言えていないのに。

身寄りのなかったおっちゃんの葬儀は、近所の公園の中にある公会堂のようなところで行われた。
私は当時仕事があって参列できず、でもどうしても会いたくて、もう出棺という時に駆けつけた。
棺の中のおっちゃんは痩せてだいぶ老けていたけど、やっぱり少しニコニコしていた気がした。
私は泣きながら、おっちゃんあの時は本当にありがとう、忘れないよと伝えた。

優しくてあたたかい人がみな私の前から消えてゆく。
おっちゃんは、今でも私のヒーローだと思う。

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