祖父のこと。

祖父母は静岡から東京に出てきた。

祖父は磐田。祖母は掛川の出身。

家が貧しくて、小学校しか行けなかった祖父は、小さい頃奉公に出て苦労したという。
奉公という言葉は『おしん』でしか聞いたことがなかったから、とてもびっくりした。

自分だけ学校にお弁当を持っていけず、水道の水を飲んで空腹を紛らわしていたそう。
担任の先生がお弁当を分けてくれたのは忘れられないと祖父はよく言っていた。

祖父の実家は植物や野菜の種を売る仕事をしていて、種の袋を縫うので、祖父はミシンがとても上手だった

戦争にも行った祖父。
背が大きくなかったせいか、戦線には立たされず、その代わり野戦建築を学んだ。

結婚後は東京に出て、小さいけれど、国立市に車の板金工場を作り社長をつとめた。

なにかを作るのが本当に得意で上手で、自宅に木造の倉庫を立てたり、車庫(二階建て)を作ったり、祖父は本当に職人のようだった。

自宅の庭に花壇を作り、コンクリートを流して道を作り、大きな岩や白いブランコを置いて、芝生も生やして、まるで小さな庭園のようで、私はそこで遊ぶのが大好きだった。

祖父は本当に器用で、自宅を増築したりもしたし、お風呂場やトイレを自分で作って、タイルも全部1枚1枚貼って、しかもとても精密で美しかった。
祖母が気に入るよう、お風呂場に岩山のようなものを作って、そこに水が流れる、風流ななにか?も作ったりした。
(祖母はとても気に入っていた)

湯船は、ゆったり入れる長いタイプを買って、もちろん祖父が設置した。
昭和の頃にしてはとてもモダンなオレンジ色の素敵なお風呂だった。

山に登ったり、川に行くのも好きで、よく綺麗な石を拾ってきて(結構大きいし、どうやって山から1人で持ってきたのかと思う)、自宅で研磨し、ニスのようなものを塗って、木で台座をこしらえた『石の置物』がいくつか祖父母の家にあった。
流木も好きでよく拾ってきたし、流木の表面を綺麗に磨いて、床の間に飾っていたりした。

ガラクタ(に見えるけれど価値があったかもしれない)を集めるのも好きで、家の倉庫には、外国の木彫りの像、蛇腹の古いカメラ、満州時代の住宅地図、本当に数え切れないおもしろいものがたくさんあった。
切手も収集していて、その趣味は私が引き継いでしまっている。

山で竹を切ってきては、竹とんぼを作ってくれたり、落ち葉を集めて焚き火で焼き芋を作ってくれたり、川釣りやいちご狩りにもたくさん連れていってくれた祖父。

私にとってはなんでもできるスーパーマンのような存在だった。

ちょっと怒りっぽかったけれど(私には怒らないけれど、母と、自分の工場の従業員には厳しかった)、本当に優しくて(特に女性に)、人の痛みがわかって、懐が深い人だったと思う。

次は祖母の話をしようと思う。


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