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手癖で小説を書くよ #1

「口笛」

 どこからか、ひゅるりと涼し気な音が聞こえた。
 何かと思えば、誰かの口笛のようだ。こんなところで、口笛? ぼくが今、いるのは家の中。パソコンの前。何の変哲もない四畳半の自室。

「どこから?」
「ここだよっ」

 見ると、小さな、幼いという意味でなく寸法が小さい少女が――そう、まるで、フィギュアのような――ツインテールの少女が、そこに立っていたのだ。

「きみは……」
「わかってるでしょ、もう」
「いや、でも」

 彼女はまるで、ぼくが描いている漫画のヒロインまんまだった。
 黄金の髪がしなやかにぴんと跳ねたツインテール。
 ちょっと吊り目がちで、少しだけ意地悪そうな視線。
 健康的な肌の色。プロポーションは〈抜群〉と称せるほどのものでなく、むしろちんちくりんな印象を持つ。

「どうして」

 ぼくは眼鏡を外して何度も目をこすった。幻覚でも見ているのだろうと思った。何が起こっているのか、目の当たりにしているのに、わからなかった。

「あのね、私は知ってるよ。あなたがとっても、たくさんたくさん頑張っているってこと!」
「だけど」

 ぼくの漫画はまた〈持ち込み〉で門前払いに等しい待遇を受けた。
 こんなことでは、デビューなんてのは夢のまた夢だ。

「大丈夫、必ず――答えは出るよ」
「きみに何がわかるんだ」
「あなたが、とっても頑張っているってこと」
「だからって何が変わるっていうんだ」
「変わるよ」

 少女は、くるりと一回転、躍るようにしてまた僕に向き合った。

「あなたの願いは、もうすぐ叶うよ」

 はて、どういうことか。
 ぼくは自分の幻覚にまで押しつけがましく急き立てられるほどの業を負ってしまったのだろうか。
 考えて、考えて、楽しそうにぼくを見ているこいつをどうにか二次元の世界に戻すにはどうしたらいいのか頭をひねり、ギブアップしかけたところだ。

りりりりり――

 ぼくの所持している携帯電話が鳴った。画面の表示を見ると、つい、この間に漫画の〈持ち込み〉に行ったばかりの出版社からの電話だった。
 泡を喰ってぼくは携帯電話を取り落としそうになりながら、通話ボタンをタップする。

 通話の概要はこうだった。
 大物の漫画家が病床に入り、その方はもう全快したのだけれど、しばらくの間でストックを使い切ってしまったため、すぐに雑誌に載せるのは難しい。そこで、直近に〈持ち込み〉に来た人に片っ端から電話をかけて、描ける人を探しているのだと。

 ぼくは偶然にも、この間、コンビニエンスストアのアルバイトをクビになったばっかりだ。
 ぽっかりと空いた予定に、ぎちぎちに原稿作成のタスクを詰め込むことなど造作もない。

 二つ返事で「やります、やります」と答え、いくつかばかりの謝辞を述べられてから電話は切られた。

「お、おい、お前このことをわかって――!?」

 振り向いたときには、もうヒロインは三次元にいなかった。
 いたはずの場所には全く何もなく、ただ煙草の灰が少しばかり散らかっているだけだ。

「……は?」

 こぼれたのはたったそれだけの感嘆符。
 けれど、本当に夢は叶った。

「これ、どっちが夢なのかなぁ」

 ばしばし、と頬を叩いてみる。じんと痛みが湧いたが、それ以上でも以下でもなかった。
 ただ、緊張のために渇いた喉を潤そうと台所に立つと、背後から。

ひゅるり

 と、また口笛が聞こえた。
 ああ、これは彼女の癖だったなぁと……今更、気が付いたのだった。

【了】

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