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苦労してからでないと幸せになれないってシナリオ、もう古くない?

昨日は今年初のセミナーの日。
帰り道、他の参加者の方と、
 
 
「朝散歩してたら、すっごい気持ちよくて、
本当に満たされていて、
何もいらないなぁって思ったんですよ」

「わかるーーー」
 
「言葉にすると薄っぺらく感じちゃうくらい
ほんとうに幸せで」
 
「わかるーーー」
  
 
なんて話をして、
からだがあることの幸せを
わかるーーーって共感してくれる
お仲間がいることを本当にありがたく感じました。
 
 
からだに感謝すること。
気持ちよく動けることの喜び。
 
 
そういうことを、
誰もが気がついていて、
その気持ちを共有できたら
どんな世界になるだろう。
 
 
今までは、ほとんどの場合、
頑張って頑張って
頑張ってることにも気づかず頑張って
 
 
心身ぼろぼろになって、
自分も他人も傷つけて、
もう動けません!
 
 
からだが動かなくなるか
何か大きな出来事によって
強制終了を受けるとこまで行って
 
 
ようやくからだを省みる、
生き方を省みるようになって、
ようやくからだに感謝するようになる、
 
 
っていうシナリオがほとんどで
(わたしも含め)
 
 
でももうこのシナリオ古くない?
 
 
って思うのです。
 
 
苦労して痛い目にあって改心する、って、
頑張らない者には価値なし!
贅沢は敵!みたいな
昭和の香り😂がぷんぷん。
 
 
人が幸せになるのに、
最初の苦労フェーズって必要なんだろうか?
人生とはそういうものだから、
どんなに時代が進んでも変わらないんだろうか?
 
 
そんなことないとわたしは思う。
ハードなドラマが好きならそれは仕方ないけど、
 
 
違和感が痛みになる前に、
あ、これ違ったわーってさっさと気がついて
自分本来の道を行く、
 
 
っていうシナリオのほうが
よくない?
 
 
 
「他に何もいらない」という幸せは
からだの感覚から湧き上がってくるもの。
頭で言い聞かせるのとは
まったく質が違うもの。
 
 
これをひとりでも多くの人と
「わかるーーー」って
分かち合いたい。

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