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奇跡とは、周りから見た結果であって自分にとっては努力の積み重ね。

タイトルのような言葉を、私は以前どこかで見たことがある。どこで見たのかも覚えていないし、ネットで調べてみても出てこないのが不思議だ。

私は、結果を出すために努力をしてきた。もちろん誰よりもとは言わないが、自分なりに努力した。その中で確かに努力して出た結果もあるが、努力しても未だに出せていない結果もある。


私が人生で大きく結果を出したと思っていることは主に2つある。
1つは、自分嫌いから自分を好きになること。もう1つは、店長になったことだ。


自分を好きになるための努力

自分を好きになるために、私はまず分析をした。自分の何が嫌いなのかと現在のセルフイメージを書き出し、どうしたら好きになるのかを箇条書きにした。「こういう場面でこういうことを言う・言わない、こういう場面でこの行動をする・しない」など。

学校へ行き、昨晩書き出した自分を好きになる行動をし、帰ったらできた点と改善点を書き出す。改善点があれば次の日改める。

そんなことを毎日続けた。苦ではなかった。自分を変えたい変わりたいと本気で思っていたのだと思う。

半年程経ち、自分のことが好きになっていることに気がついた。何故気がついたかというと、人を好きになれていたからだ。なんでこんなに人が好きなんだろう、なんでこんなに人の優しさを感じられるのだろう、なんでこんなに愛を持って人と接することができるのだろう・・それらは全て、「自分を愛せているから」に辿り着いた。


店長になるための努力

店長になるために、1日最低15時間拘束、昼休みほぼなし、1日中走り回っていることもあり、残業代なし、月4〜6休みの環境で、何ができるかを考えた。

仕事中も色々と努力したが、仕事外では勉強をした。商品と身体の勉強(当時エステサロンで働いていた)。当時サロンを出るのが23時以降だったため、そのまま帰ると眠ってしまうと思い、仕事終わりは24時間営業のファミレスへ行った。勉強をするためだ。あまり頭には入らず効率は悪かったかもしれないが、当時は勉強をしているという事実が自分がすがれる自信だった。

そんな毎日が過ぎ、入社1年半で店長になった。環境に恵まれずもう辞めようと思いやる気のなかった新人が入社数ヶ月後から急にやる気を出し、店長になったため、周囲からは驚かれた。



結果を出した時に感じたこと

いずれにしても、出した結果に対して嫉妬はされた。私も人に嫉妬することがあるので、別に気にしなかった。ただ、結果を出した時に思ったことは「まあそうだよね」だった。偉そうな意味でも、上から目線でも、威張っている訳でもない。奇跡という感覚ではなかったのだ。何故ならそこに辿り着くまでにやることをやっているからだ。嫉妬してきた人たちは、私の努力を知らない。


いつの日か、嫉妬してきた人たちに私が努力している間に何をしていたか聞いたことがある。私が自分を好きになる努力をしていた同じ時間に、彼女は大学のサークルで首にビニールをつけて、お酒を飲んでは吐いてを繰り返していた。私が店長になる努力をしていた時、私は泣きたい思いで勉強をしていたが、彼女は泣きながら彼氏に仕事の愚痴を言っていた。

私が結果を確実に出すとは言えなかったが、彼女達が結果を出すことは確実にない。何もしていないからだ。

彼女達を見下す意味で言っている訳ではない。周りから見た奇跡は自分にとっての努力の結果だと実感したのだ。


だから私は目標があるときは、周囲から何を言われようとも努力をする。確実に努力が報われるということはないが、結果を出している人は必ず努力をしているからだ。そんなことも誰かが言っていた気がする。

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