適切なサイズということは、コントロールできるということ

日本が恋しいと思うのは、適切でないサイズ感に対面した時。

1.5人前以上はあるうどんのはいったボウルに、みっちみちにつめられたステーキ、ヒトサラで1日は過ごせそうな量のパンケーキ。

外食だけではない。自宅でも、つばのやたらと大きなお皿に、振り回されそうなサイズ感の包丁、ずっしりとおもたいステンレスのお鍋。

その食べ物が、その行為が、自分に向かって最適化されてないということの不快さ。自分自身の傲慢さへの気づき。意志なくして世の中は自分を中心に周ってくれやしないこと。

手のひらに美しくフィットする木のお椀、細やかに動かせるお箸、ちょっとミルクを温めるだけのアルミ鍋。はちみつをなめるのにぴったりなサイズのスプーン。

自分に向けられたプロダクトは、そのプロダクトのある生活を用意に想像することができる。自分に向けられたプロダクトの素質は、プロダクトの背後にあるビジネス的戦略を超越した、素晴らしい暮らしを自分が作ることも可能にしてしまう。

私は私の家にある、そんなコントロール可能な世界が恋しい。

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