先のことなんて、自分でもわからなすぎて③

ふたりぼっちの一年間

息子が1歳を迎えた年末。

私の心に矢は刺さったまま、夫の仕事が猛烈に忙しくなった、というべきか本人のモチベーションが桁違いに上がったというべきか(多分どちらも)。もともと平日夫と会話できるのは朝の5分程度だったが、それに加えて休日はなくなり、我が家は毎日が平日になった。週末は私と息子にとって「休日」ではなく、「街が混んでいる厄介な平日」。

週末の朝の公園はお父さんと子供で溢れていて、たまにいるお母さんの近くには、必ずお父さんがいる。土日の公園が嫌いになった。

子連れで行けるところにしか出かけることができず、美容院は長くお世話になっていた仲良しの美容師さんから、子連れ用の個室のある美容院に変えた。学生時代の友達とたまに会いたくても、子連れで行くと会話がほとんどできないので、諦めた。

自分もかつては同じ立場で、そういう働き方をしてきたので、状況はよくわかっている。疲れて帰ってきているのに、夜中に家事をやってくれたりと、夫も本当に頑張ってくれているのもわかっていた。そして今が頑張り時なのも、よーくわかっていた。

私の心の中は常に「がんばれ」と「たすけて」のたたかい。

そして心の矢は、なかなか抜けない。一人の時間が取れないので、心のメンテナンスの暇もない。

24時間隣にいるのは、言葉の通じないやんちゃ盛りの1歳児。大急ぎでトイレに行って戻ってくれば、椅子を使ってテーブルによじ登っている。お箸を取りに席を立てば、椅子に立ち上がってお醤油の瓶に手を伸ばしている。一秒たりとも気が抜けない生活が24時間、週7日、を年末から続けて、次の秋がやってきた頃、さすがに「がんばれ」よりも「たすけて」が優勢になってきた。立ち眩みがひどくなって、夜中に失神したこともあった。

不思議なことに人って土台が崩れると、防衛本能なのか、世の中のすべてが敵に見えてくる。完全に矢印が内向きになっているので、ことあるごとに「この態度はひどいんじゃないの」「なんでみんなもっと私に優しくしてくれないの」とつっかかりたくなる。相手に悪意は全くないにもかかわらず。

物心ついた時には「人の役に立ちたい」という感覚が奥の方にあった私にとって、こんなの28年間生きてきて初めての心理状態だった。「”世の中の役に立つ”? ”貢献”? 何の話???」という感覚だった。

それもじわじわと変わっていくので自分でも心がおかしいことに気付きにくい。自分の異変に気付いたのは、ようやく夫が少し余裕の出てきた11月の終わりだった。ふたりぼっちの生活も、1年弱。やっと私もセミナーや読書、人との会話の時間が取れるようになり、気持ちを受け止めてもらったり、自分の心を俯瞰したり。そこで初めて「あれ?この思考のままじゃ私やばいぞ」と気付いた。

年末にたまたま手に取った武田双雲さんの本に出てきた「徳を積む」の言葉。これまでも何度も聞いたことのあるその一言が全身を駆け巡り、気付いたら正反対の場所にいる自分に、涙が出るほど反省した。

そして世の中にいる、愚痴ばっかり言ってる人、否定的な人、攻撃的な人、、、自分の心に苦しんでいるあらゆる人たち。その人たちもきっと、土台となる大切な何かが崩れてしまうような経験がいくつか重なって、そのスイッチが入りっぱなしになっているだけなのかもしれないと思った。

人の心のスイッチなんて、簡単に入れ替わってしまうんだ。28年間揺らいだことのなかった根幹のような価値観だって、たった1年で、たったこれっぽっちの苦労で、180度変わってしまう。

世の中にはもっともっと苦しいことを、もっともっと若い時に味わっている人、もっともっと長い期間味わってきた人が山ほどいる。私は今まで恵まれすぎていて、人の心の振れ幅にあまりにも無知だった。

かつて全然わかってあげられなかったあの後輩に、今ならもっと寄り添える。

悩んでいた一時期の夫に、今ならもっとかける言葉が見つかるはず。

エレベーターで何度か会ったいつもイライラしているおばさまに、次に会ったときは、恐れずにいられるかもしれない。


息子と二人ぼっちの一年間は、私の世界をぐんと広げてくれた。

おまけに気付いたら心の矢は、温かく溶けていた。

そして”頑張りどき”を頑張りきれた夫は、一年前とは別人のように、自信を持って輝いていた。


④へ続きます。


#育児 #育休 #ワンオペ #家族

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