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もう一度、速くなりたい

今年、30歳になった

私は"年を重ねること"そのものにネガティブな感情をあまり持っていない方だと思う。若く見られたいとか、何歳までにこうならなくちゃとか、大して興味が無い。外見も内面も、自分なりに一生懸命歩んできた全てでしかないから。

でも、そのはずなのに、なぜだか年を重ねるたびに必ず一瞬心に浮かぶ、ザワザワした感情があった。見ないように見ないようにしてきたけど、自分の年齢を意識する度に出てくるそれは、「身体能力のピークから、また遠ざかってしまった」という落胆だった。

大学を卒業して以来、心の隅っこに「まだ走れるかな」という希望と「もう自己ベストを出す喜びは一生味わえないんだろうな」という絶望が、いつもいつもあった。

なぜこれまで走らなかったのか

大学を卒業して8年。その間、覚えているだけでも4回は、もう一度陸上をやりたい、と競技場に通った時期がある。

スパイクやシューズをバッグに詰めるだけで、涙が出そうなくらい心がぎゅーっと満たされた。そのバッグを持って歩くだけで、無敵になったような気分になる。タータンと空のコントラストを心に映すだけで、生きていることへの感謝が湧き上がってくる。

こんなに好きで、続けない理由なんてないように思えるのに。

当然ながら、練習をすればするほど「もっと速くなりたい」という気持ちが湧き上がってくる。でも、仕事や育児など”本業”のことを考えると、満足な練習は絶対に積めない。年齢的にも、自己ベストなんてもってのほか。「速くなりたい」という感情を持ってしまえば、本業に身が入らなくなる、とまでは行かなくとも、本業への姿勢にほんの少しでも濁りが生まれてしまうのではないかという恐怖があった。何しろ「自分の持てるエネルギーのすべてを注いで成果を出す」というやり方しかしてこなかった人生だから。

でも「速くなりたい」ではなく、「走ることを楽しもう」と自分に言い聞かせながらの陸上は、まるで楽しくなかった。

「私にとって陸上はもう必要ないんだろうな。きっと過去の楽しかった記憶にすがっているだけなんだ。」と毎回たどり着く同じ結論に苛立ちながら、それでも自分なりに折り合いをつけてきたつもりだった8年間。

自分の命を、まだまだ輝かせたい

去年の終わりに、とある講座を受けた。講座の最後、全員が自然体で内側の想いを語り合っていた時、私から出てきた想いは、「私はこの先の人生に、どこか諦めの感情を持っている」というものだった。自分の人生を輝かせるフェーズはもう終わったと。あとは家族や世の中に必要とされることを一生懸命やっていく。そういう人生なのかなと思っていた。

でも、本当はまだまだ自分の命を輝かせたい。そう泣きじゃくりながら心に浮かんでいたのは、レースに出て走っている自分の姿だった。私は競技としての陸上を、こんなに渇望していたのか。それを諦めただけで、人生を諦めたかのように感じていたのか、と。

でも、”本業”が大切であることは変わらない。陸上が大好きだからこそ、競技として続けたいからこそ、夢中になってしまう自分が想像できてしまって、怖かった。大切なものと大切なものの間で、自分ばかりを追い込みすぎて潰れてしまう姿が、容易に想像できた。

「速くなりたい」

それから半年が経ち、春がやってきた。きっかけはわからない。トラックレースがシーズンインする気候に、身体が反応したのかもしれない。無性に練習がしたくなって、ドリルや坂ダッシュを始めた。走れば走るほど自分の課題が見つかって、今度はそれを修正するために筋トレをしたり、メニューを組んだり。そのPDCAがとにかく楽しくて楽しくて、少しずつ身体が動くようになっていく感覚が、歓びそのものだった。

もう、この感情に蓋をするのは限界だと思った。私はもう一度走りたい。競技復帰したい。自己ベストは更新できなくとも、何かを目指してまた走り込みたい。

最後はかつての陸上仲間から応援の言葉で背中を押してもらい、私はついに8年ぶりに「速くなりたい」を解放することができた。

その日私は、引退後一度も見ることができずに封印してきた、現役時代の自分のレースの動画を見た。”もうここには戻れない絶望”ではなく、希望として、学びとして、やっと見ることができた。

今ここ

6月から幼稚園が始まり、私の仕事も始まり、時間的な余裕があまり取れないことには変わりないけど、それでも僅かな隙間時間を使い、「速くなる」ために練習を続けている。

ウイルス対策で、大会がいつ開催されるかわからない。その時に自分がどれくらい練習できているかもわからない。でも、他にも人生で色んな大切なものを抱えながら、その時叶う一番の速さで走れたらそれでいい、と今は思える。身体能力のピークなど関係ない。今の輝きを最大限発揮すること、そういう意味での自己ベストを更新し続けたいと思う。

あんなに一つのことしかできなかった私が、今は育児と仕事と陸上を、自分を痛めつけない方法で、続けようとしている。優先順位を守ることと、自分に無理をさせない、ということだけはルールとして。

こうしてバランスを取れるようになっていくことが30年間でやっと得られた成長でもあり、さらにはこうして葛藤の末に、それでもエネルギーを注ぎたい、愛を注がずにいられない対象が増えていくということが、30年間生きてきた証でもあり、自分の人生が愛おしく思える瞬間でもある。


長い間待っていてくれてありがとう、陸上ちゃん。その間に、大切なものをたくさん掴ませてくれてありがとう。

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