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コロナ陽性と「高野さん」

先々週、コロナで陽性となり、いろいろと予定は狂うわ、毎日変わる体調に戸惑い不安だわ、嗅覚障害や切り裂かれるような喉の痛みなど、今までなったことのない症状に驚いた。ネットでいろいろ調べてたら一時的な記憶障害も起こるという。それはないな、と思っていたらある人の名前がどうしても思い出せず、「これか?これなのか!?」と思った。

思い出す必要のない人の名前である。たぶん、もう死ぬまで会わない人だ。それなのにまったく思い出せないのが、死ぬほど気持ち悪い。

なぜこの人の存在を思い出したかというと、

陽性→妖精→妖精さん

という他愛のない連想ゲームからだった。

「妖精さん」とは、会社の窓際族社員というか、もう戦力外というか会社に席だけあるような社員のことだ。出社はしても、いつの間にか席を離れてどっか行ってたり、何の仕事をしているかわからない社員のことを揶揄していう言葉だ。

コロナ陽性と診断された帰り道、陽性→妖精→妖精さんとか連想してたら(子供の頃から言葉の連想癖がある)、ある人のことをくっきりと思い出したのに、その人の名前がまったく思い出せない。30年近く前のオフィスの席順も他の人の名前も思い出せるのに、そのおじさんの名前の記憶にだけ、ウイルスが侵入したのかも。

その人は、新入社員の時に会社で、わたしの前に座っていたダンディーなおじさんだ。年は知らなかったけど、当時の私の父より確実に上だったから55歳くらいだったのだろう。ある日突然私の席の前になり、仕事でてんてこ舞いのわたしの電話をよくとってくれた。何かわたしが困ってると「俺は何すればいい」とさりげなく手伝ってくれた。わたしは「じゃ、これお願いします!」なんて仕事をふってた。だって私の仕事する以外、その人ずっと新聞読んでるんだもん。

上司の課長がさりげなく私のところにきて「まったくやりにくいよ、俺が新入社員の時の人事部長が部下になるなんてさあ」とか、隣の島の課長が「あの人偉い人なのよ。雑用やらせちゃだめよ」とか、言いにきた。でもわたしは忙しいし💢あの人暇なんだし💢やってくれるならいいじゃん、と思ってた。またべつの人が「派閥争いに負けなきゃあの人本部長だったのに気の毒だよ」と言いにも きた。

そういえば、そのおじさんは、あまりに知性と高貴な雰囲気に溢れており、言ってみれば北大路欣也と仲代達矢をまぜたようなダンディーで、しょっちゅう先輩美女たちにセクハラ発言をしに寄ってくる、虫のような本部長より威厳もオーラも別格に上だった。世が世なら、私のようなぺーぺーオブザワールドが近寄れる人でもなかったはずだ。なのに、私に言われて発送物のノリを貼ってるのである。静かに、優雅に。ちっぽけな会社の派閥争いとかまったくよくわからなかったけど恐ろしいものだということはわかった。

遠慮しているんだか、他の人はおじさんに話しかけにもこないし何の会議にも呼ばれない。それこそ私にしか見えない妖精のようだった。

ある日彼が「俺は一度浅草で寿司を食ってみたくてねえ。上村さんがよく行くとこに連れてってくんない?いちげんじゃ行けないだろ?」と言ってきた。そのおじさんには1ミリもキモい感じもしなかったので承諾した。ただ私が「よく行く店」は夜は高いのである。うちは家族が知り合いだからそこに行ってるので、たぶんおじさんが私におごってくれるのにそこに連れていくのは申し訳ないし気がひけて、行ったことのない新しい店に連れていった。

まずくもなかったし、素敵な店だったがおじさんは「上村さんのよく行く店がよかったのに」とブツブツ言っていた。「じゃあ、今度はそっちの店にしましょう」と言ったら「ああ、そうしよう」と、喜んでいた。おじさんは別れ際に「上村さん、やりたいことあるならやったほうがいいよ」と言っていた。私は2年滅私奉公をしてお金を貯めたらイギリスに留学するつもりだ、なんて一言もおじさんに言ってなかった。でもおじさんは見通していたのかもしれない。

そして間もなく滅私奉公の年季があけて、わたしは会社を辞めた。おじさんは確か最後の方は、さらにシニア妖精さんだらけの別部署に異動になってしまったんだか。その後きちんと話すこともなく、ほんものの「よく行く寿司屋」に一緒に行く約束も果たすこともなく、私は退職した。

「高野さん」

今日の朝、起きたらいきなりおじさんの名前を思い出した。陽性診断から10日以上、何度も思い出そうとしたのに思い出せなかったのに、いきなり思い出した。なんとかパワーがチャージされて、RPGの次のステージの扉が開いたみたいだった。コロナ、治ったんだなわたし。

名前がわかると、さらに記憶の中の高野さんの面影の画素数が上がってきてはっきりしてきて、泣けてきた。もう一生会うすべもないけど、私のことなんて1ミリも覚えてないだろうけど、どこかで幸せに元気に暮らしてるといいなと思った。

そんな思いがつのってきてこの文章を書いてしまった。やっぱり治った。

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