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人形町「芳味亭 人形町本店」

父の仕事関係でお世話になった真田広之似70代の元名編集者紳士が、私の訳した『モリッシー自伝』を読んでくれた。まったくモリッシーファンでもなく、読み進められるか不安だったそうだが、出てくる固有名詞に興味のある名前も多かったそうで、急にひきこまれて、まさかの読破してしまったそう。丁寧な感想のお手紙をもらって、文通のような感じになり、「コロナが落ち着いたらお会いしましょう」と言ってくれていた。コロナは落ち着いてないけど、その方の地元の人形町にお招きいただき、ランチをした。

連れて行ってくれたのは、私も小さい頃からよく行っていた芳味亭。

昔は普通の民家風な家で畳の上で食べる庶民的な洋食屋さんだったが、経営が変わって場所も少し表側に移り、モダンで素敵なお店になっていた。昔の、まるで「人んち」に来たような風情はなくなってしまったけど、落ち着いていてよかった。味も変わらず、濃いめの洋食でおいしかった。 洋食弁当は、代表メニューが少しずつ網羅されていて、「おとなのお子さまランチ」のような感じ。

小さい頃は、祖母や祖母の兄やら大勢で浅草から乗り込んで来て、甘酒横丁で鯛焼きやら豆腐やら買ったのを思い出した。鯛焼きは今も大人気変わらず、並んでいて買えなかったけれど、新しくできたパン屋さんで食パンを買った。

「東京ノアレザン」というお店。明日の朝が楽しみ!と思ったけど明日は健康診断でバリウム飲むから、食事できないんだった。ちぇっ。

いかにおいしいものを買って帰ろうか必死な習性が見え見えだったのかw たくさんいいお店を教えてもらった。 また人形町に来よう。

その紳士と初めて会った時、私は13歳だった。父がうちに連れて来た。ランチをしながら、初めてモリッシーと出会ったのはいつか、なんで惹かれたのかと聞かれたので、「あ!ちょうど初めてお会いした頃からですよ」と言うと驚いていた。あの時「おじさん」だと思っていた紳士は当時、40そこそこだった。今の私より若くてとても不思議。

こうして年をとって、間にいた父はもうこの世におらず、そして人形町を一緒に歩いているのが私なのは、何ともへんな感じでおもしろかった。自分が死んだこの世界でLINEを交換している私たちをどこかで見て、父は大笑いしていることだろう。

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