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1文字の助詞に表れる、センス、本音、心遣い  「1文字違い」を考えた

「幸福の王子」か「幸福な王子」か


「幸福(しあわせ)の王子」
という、童話がある。

「読み聞かせ 童話短編集」的な本に収録されていたので、私が読んだものはかなりストーリーが端折ってあると思うのだが、じんわり心に残る話で、とても気に入っている。子どもにも「これ、お母さんが大好きな話だよ」と言ってよく読み聞かせた。

ーーーとある街のとある丘に、王子の銅像が立っていた。王子の眼下には街が広がっており、市井の暮らしがよく見える。王子は、人々の暮らしを見守りながら、病気で苦しんでいる子どもや、貧しい中で勉学に励む若者らに幸せを届けるーーーという話。 

王子を慕うツバメに頼んで、王子の目である宝石や、王子の肌となっている金箔を、困っている人々に届けてもらうのだ。
王子は街の人の幸せのために自分の身を犠牲にし続け、とうとう灰色になってしまう。そんな王子にツバメは忠誠を誓うように、南の国への飛来を放棄し、最後まで王子に尽くす。そして冬の寒さに負けて、息絶えるのだ。

悲しくて、見ようによっては残酷で、だけど温かい、沁みる話だと思う。

ところが、先日、何かの記事で、その話のタイトルが地味に間違っているのを見つけた。

「幸福(しあわせ)な王子」

パリピ王子、かい。
と、「地味な間違いしちゃってんなー」と小さく憤っていたのだが、よくよく調べてみると、世の中には
「幸福(しあわせ)の王子」
「幸福(しあわせ)な王子」
2つのタイトルが併存することが分かった。
原題は「Happy Prince」。
わーー、「幸福(しあわせ)な王子」よねえ、直訳は。

これを「幸福(しあわせ)の王子」とした人は、きっと天才。
編集部で「な」にするか「の」にするかの議論もあったに違いない。(聞いてみたい)

微妙な違い。
調べてみたら、「幸福(しあわせ)の○○」という表現は、名詞と名詞を格助詞の「の」で挟んで構成した表現で、「人々に物事を考えさせる響きがある」ということだった。
それやん。

どうですか、あなたはどちらが好きですか。
「幸福(しあわせ)の王子」というタイトルが、私は好きだー。

「が」と「は」の違いに、意外な本音

ずっと昔、子どもが幼稚園だった頃、子どもたちが遊ぶのを眺めながら、ママ友がこう言った。

「Kちゃんって、肌の色は、白いよね」

ありがと、そだね、うちの子、肌の色は白いよね。
でも、「肌の色は」っていう言い方だと
「Kちゃんって、(他は大したことないけど)肌の色は白いよね」っていう響きだなあと思った。
「肌の色が」って、私だったら言うかな。
と思った。

1文字に本音が出るんだな、と思った。

あえて助詞を外してみる

3ヶ月ほど前、機関紙作りのメンバーUさんと電車で一緒になったことがあった。
いつもガハハ笑いで場を和ませ、いかにも「大阪のおばちゃん」なのに、実は「私、東京出身よ」という方で、年齢は60歳前後だろうか。
いつも通りのオモロイ話で帰路を盛り上げてくださるかと思いきや、
「夫が病気でね…」と切り出すので、私の背筋も思わずシャキンと伸びた。

話を聞くと、もともと持病があったのに(後にそれがガンだったと判明)、コロナにかかって体調が悪化、なかなか良くならない、心配だという内容。

「私ね、子どもの手が離れたからって、夫婦でゆっくり二人旅とかそんなのまっぴらごめんと思って、夫ともそんな話をしていたんだけどね」
「最近になって、孫の顔が見たいって、そんなことを言い出すのよ…」

どうやらお子さん2人に結婚の予定はないらしい。

孫か…。どう返答していいか困った私、何をどう思ったか、
私の父も、孫の顔が見たいって言ってましたけど、間に合いませんでした。一年後に産まれたんですけどね」
と言ってしまった。

そこで「あ!」と気づいたのだ。

私の父も、って。 も、って
Uさんのご主人はまだお孫さんに間に合うかもしれないのに、父親と同じ「孫が見られなかった」人に分類してしまった
なんとか弁明しようと思ったけど、あいにく私の降車駅に着いてしまった。
何も言えぬまま、さようならをして、帰り道でも自宅でも、1文字の重みのことを考えた。
どう思っただろうか。傷つけてしまったのではないだろうか。
「やっぱりそうよね」と、諦念を抱かせてしまったのではないだろうか。

そして、3ヶ月後くらいにUさんのご主人は亡くなった。
1文字の重みを、こんなに感じたことはなかった。



しかし、よくよく考えると、「も」の代わりに、「は」を入れても「が」を入れてもしっくり来ないのだ。

「私の父は」とすると、Uさんの話を聞いていなかったようだし、「が」も同様の響き。ここはやはり「孫の顔が見たいと言っていた」という共通項を強調する「も」が正解なのだと思う。

問題なのは、続けて「間に合いませんでした」としてしまったこと。
ここで一度話を区切り、
「私の父も孫の顔が見たいって言っていました。間に合いそうだったんですけどね。父は、孫の誕生に間に合いませんでしたが、ご主人さんは間に合うといいですね」
いいじゃん、これ。

一度文章を区切り、次の主語に続く助詞を「は」にすれば、Uさんのご主人と私の父を同類にすることはなかった…。

しかしこれでは、この話のテーマ、「1文字の重み」の話から脱線してしまうやん。

うーん、難しい。
そうか、ここはあえての「助詞外し」がいいのではないだろうか。

「私の父…、孫の顔が見たいって言っていましたけど、、、間に合いませんでした」
あえて助詞を外して、ちょっと溜めがちに話す。
こうなると、もはや女優か。

* * * * *

考えすぎの感がありますが、たかが1文字、されど1文字、助詞の使い方を意識することも、人間関係が円滑になるポイント…かもしれませんYO。

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