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「昼間は大声で笑っちゃいけない」祖母にかかっている呪い

祖母は笑うのが大好き。笑顔がとっても可愛いです。
でも茶の間で昼間、みんなでおっきい声で笑うと嫌がります。これは認知症になる前からそうで、認知症がだいぶ進んでからもずっと続いていました。

わたしが実家に帰っている間も、結構このやりとりがありました。
夜にはどんなに笑っても大丈夫。でも昼間に大きい声で笑うと焦ってる。


「おい、ねら、すっけなでっけえ声で笑うんじゃねえ!近所のしょに聞こえてしまう」

そう言って眉をひそめます。

「え??大丈夫だよ、何言ってんだよ〜」

「大丈夫じゃねえすけ!!」


どうしてかというと、昼間からそんなに大声で笑ってたら近所の人に「怠けている」「遊んでいる」と思われてしまうから。と言う理由でした。

祖母が若い頃はずっと働き詰めで、昼間にみんなでワッハッハと笑うことなんてなかったんだろうな。20歳前後で戦争を体験してるので、「大きい声で笑うことは悪いこと」と強く感じるような体験があったのかもしれません。
多分、何かで笑ったところを丁度お姑さんとか近所の人に見られたりして、「怠けている」とか「働かない」とか言われたこともあるんだろうな。
そしてそれは祖母だけに特別に起こっていたことではなくて、そういう時代だったんだろうと思います。
ああ良かったなー、わたしその時代に生きてなくて!!


その時代を担当してくれた人がいるから、わたしは今こうして今の時代を生きてられる。だからそんな大変だった時代の担当者の皆さん、つまり今老人の皆さんは、なんて時間を生きてきたんだろう。本当にすごいなあと思います。
戦争があって、何も無くなって、そこから働き続けて。社会全体で物凄い価値観のパラダイムシフトが起こった時間。
「すごいも何も、だってその時代に生まれたらそう生きるんしかないじゃん」って話でもあるんだけど、でも魂が「その時代に生まれる」っていう経験を選んでなければ、そもそもその時代に生まれない。


そしてもう時代は変わって、いつでも笑ってよくなった。
婆さん、もう誰もそんなこと言わないよ。笑いたいときに笑っていいんだよ。
でも環境が変わっても、祖母の価値観は呪いにかけられたみたいに変わらないまま。


それはもう変わらなくても仕方ないことで、そうやって時代が終わっていく。もうやめてもいいのにずっと苦しい価値観を抱き締めていること、そこまで含めてが「時代」で、その人たちが死ぬことでその価値観も死んでいく。そんな時間を生きると決めてきてる。なんて言うかもう、どんだけかっこいい人たちなんだろう老人!!と思います。
そんな姿を見るからわたしは
「ああ、いらない価値観は手放したらいいよなあ。そこに気がついていたいなあ」
と思える。その役割わたしだったら絶対やだよ。でもそれをやってくれる人がいるからこの世界が進んでいく。

いやもちろん、だからって老人の皆さんの性格が全員いいってことはなくて
クソジジイもクソババアもいるけど、「あの時代を体験する」って決めて、そりゃあ大変な時代だから性格が曲がることだってあるよ。でもとにかくやり切った、この歳まで生ききったっていうそのこと自体がもう。わたしにはとてもできないよ、と思います。


そのまま最期まで突っ走ってもいいけど、できればどんな価値観だとしても、その中で最大限に幸せであってほしい。
大切にされてほしいし、最期の時間に少しでも笑顔があってほしい。と思います。


うちの祖母の場合は、多分その価値観のまま突っ走りたくはないけど自分で手放すこともできない。だから認知症になって、強制的に手放しているのだろうな。今はもうすっかり色んなことにモヤがかかって、いい感じにお地蔵さんです。

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なんかモゴモゴ喋ってるけど、何言ってんのかわかんない。

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口におやつを詰め込まれる。

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美味しいね。良かったなあ。

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