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少年野球、女性コーチになってみた

息子(小四)が少年野球チームに入団をした。
よくある「近所のお友達に誘われて」という王道パターンだ。
私自身、野球の経験はなく、ご贔屓にしているプロ野球選手や球団もない。
ただ、高校野球をTVで見ながら、若者の青春を快適な部屋でお裾分けいただき、時に涙し、おもむろに走りに行ったりするくらいにはお世話になっている。
元来人見知りの自分としては「少年野球チームだなんて、ご父兄の皆さまとの交流がしんどいぞ・・・」と身構えるほど、避けて通ってきた部分はあったが、息子が「やりたい」というのでは仕方ない。
仲良しの「なっちゃん(お母さん友達)」に連れられて、グラウンドへ向かった。

こんにちは、はじめまして。よろしくお願いします。

グラウンドの横では朝からお母さんたち、コーチとして参加しているお父さんたち、「甲子園出場30回の名門監督」(比喩)のようなオーラを放ち、年季の入ったユニフォームを着る年配のコーチ、そして晴れ晴れとした弾ける笑顔をふりまく子ども達が並ぶ。

人様の名前と顔を覚えるのが不得手な自分は、誰よりも大きい身体を誰よりも小さく丸くしながら皆さまに挨拶をする。

「こんにちは、はじめまして。よろしくお願いします。」
コミュニケーションの第一歩「挨拶」だ。

次々と挨拶してまわる。社交的でサービス精神旺盛のなっちゃんは、どんどんと打ち解けていく。「これが・・・関西人の実力か・・・」
なっちゃんは大阪育ちの素敵な女性で大好きなお友達だ。
ぐんぐんといろんな方を紹介してくれる。なっちゃんのおかげで、全体をまとめてくれている父母会長と話すことができた。

こわくない・・父母会
これは超偏見だが、スポーツ=父母会=怖い
という図式が私の中で出来上がっていた。

誰がレギュラーになるか、大会での順位はどうか、監督の采配へ口を出したり、妬みや嫉妬・・・。過去に無駄に長く競技経験のある私は、「チームを運営する」ということがどれほど複雑な感情が入り乱れるのか、なんとなく雰囲気で知っていた。これが子供のこととなると、なお見失うことが多いということも。

だから、あまり「勝ち」にこだわるチームには入りたくはなかった。
好きでやっていれば勝手にうまくなるし、もし長く競技をするのであれば、子どもの身体にあわせた練習量ではないと、怪我のリスクもつきまとう。
まずは、「楽しい、やりたい、頑張りたい、嬉しい、悔しい」という感情を知ってくれれば十分だった。
ありがたいことに、ご縁のあったチームは「ほどほど」のチームだ。
誰一人怒鳴られたり、理不尽な1000本ノックなど課せられていない。


そして昔ながらの野球のユニフォームが身体に馴染み、西部警察さながらのサングラスを身につけるベテランのコーチがわたしにこう言った。

「もう時代が違う。うまくなる子は、インターネットで動画を見たりして勝手に上手くなっていくんだよ。自分たちの教え方は時代遅れのことがたくさんある。怪我をせず、楽しく、長く、続けてほしい。そうすれば勝手に上手くなる。」

御年82歳

この柔軟性はどこから来るんだ。頑固な昔ながらの人だったらどうしよう、と思っていた自分の偏見を心から恥じた。アップデートしていないのはバイアスに捉われた私の方だった。

基本的に教えるのは現役の息子さんを持つ野球経験のあるお父さんと、OBのお父さん達が中心だ。

こなれたグローブ捌きやノックを見ると「おお、この人は結構ちゃんとやってきた人だな」というのが素人にも分かる。
そのお父さん達が楽しそうに子ども達と戯れている姿も目にして入団を決めた。

「野球の経験ないです、でも投げたい。(私が)」

バイアスに捉われた親(私)と違い、息子はあっという間に馴染んでいった。
下手くそでも誰にも笑われず、お父さんコーチ達が一生懸命教えてくれる。楽しそうに大きな身体で汗にまみれて「バッチこーい」と定型文を叫ぶ息子を見て、小学生時代の自分が重なった。

ここで私の悪い癖が出る。
目の前の白球が私を呼んでいる(ような気がする)、ああ、投げたい。
キャッチボールをしたい!

ジャージを着ていざ

「ボール拾い、参加させてもらってもいいですか?」
チームをまとめているコーチに承諾をもらい、自前のジャージを着てグラウンドへ走った。倉庫にある、使い込んだグローブをお借りした。
邪魔にならないよう、グラウンドの端っこでボール拾いをしながら、時々低学年のキャッチボールの相手をしていた。

めちゃくちゃ楽しい・・・。

まぁまぁ投げることができていたこともあり
「野球、経験者ですか?」コーチに聞かれる。
野球経験はないけれど、バレーボールをしていたという話をする。
話をすると、捕球の姿勢とレシーブの姿勢、ピッチングとスパイクのフォーム、それぞれ共通点があり「どのスポーツも同じですねー」ということで盛り上がった。
その後、正式に「見学ではなく、コーチとして参加してくださいね」と言っていただき、保険にも加入し、今は参加できる日は子ども達と一緒に野球を楽しんでいる。

印象的だったことがいくつかある
・私が結構投げられると分かると、子ども達が一斉に寄ってくる。
・「野球やってたの?」「どのチームが好きなの?」質問攻めにあう。
・それまでグラウンドに出てこなかった女性が数名参加するようになった。
(ソフトボール部出身のお母さん達かなりうまい。)
・低学年のはじめたての子は速球が怖い子も多いので、慣れるために経験者の女性とキャッチボールをすることはいいんじゃないか。

少年野球のコーチは女性だけだと思ってたけれど、チームの方針として受け入れOKで自分が周りに迷惑をかけないレベル感でできれば、参加してもいいのではないか。
※怪我はほんとにね、気をつけよう。

もちろん主役は子ども達であり、チームの方針に従った方がいい。
ここでジェンダー平等を訴えたいわけではない。
個体差向き不向きの話であり、できるんだったらやってみてもいいんじゃない?という話だ。
私もこれから年齢を重ねて走れなくなったらやらないし、高学年は球速も早くなり危険を伴うので、いずれできなくなるであろう。

ただ、「お母さん」としての役割分担にとらわれず、グラウンドでボール拾い要員として、トンボをかけたり、フライの球を投げたり、まぁまぁチームの役に立ちそう。というコーチと私の判断があった。

あとは「野球をやりたい女の子」が入りやすくなるといいなという気持ちもある。(実際、女子選手は高学年に1名いるけれど、その1名のみだった)

女人禁制!に入っていく。というような過激なものではない。
ただ、自分にできることが「男性が多い場所」にもあるかもしれない。という可能性は、どの視点でも共通していることのように思うのだ。

もちろん、男性にもだ。

それにしても、運動はなんでもやりたくなる。
まずやってみないと感覚が分からず、どんなに難しいことか知りたくなってしまうからだ。少し野球を齧っただけで、プロ野球選手、もとい少年野球の子ども達の凄さがわかる。
仕事でも、ちょっとでもやってみると、「その道のプロ」の凄さが分かるものだ。
そして、「できないことをやってみる」というのは、自分自身の成長のため以上に、「他者への心からの尊敬」を生み出すためにも必要なことなんだろうと思う。

自分ができることなんて、ほんのちっぽけでいつも限られているのだから。

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