Myマイストーリー:ライター編①
元国際線CA、現ライターの吉川明子です。
想いをカタチに。言語化のお手伝いとしてインタビュー形式でお話を聞き、あなただけのストーリーを文章化することを得意としています。
わたしは、新卒で国内大手航空会社に入社、約10年間、客室乗務員という仕事をしました。
ライターなのになんでこの経歴を一番に書いているの?
その答えは
「ライターをするうえで、客室乗務員の経験が一番役に立っているから」
です。
文章を書くスキルは
「書くことが好き」から派生したものです。
でも
人とのコミュニケーション力や話を聞く力は
現場での接客経験がなければここまで磨かれなかったのでは、、
と感じでいます。
あと度胸がついたw
いろんな同僚先輩、お客様との出会いが私を育ててくれました。
もちろん
会社員としての働きかたとフリーランスでの働き方は
ぜんっぜん違って、
ごりごりの会社員魂を磨いてきた私にとってはw
大変なこともたくさんあります!
でも今
クライアント様の唯一無二のストーリーを聞いて文章化することが
すごく楽しい!!!
客室乗務員という
型にがっちりはまった現場・命の会社員から
ほぼPC前に張り付く日々を送っているライターになるまでの
私のストーリー。
結婚や出産を機に現場仕事を離れる人、
PC・ウェブ周りの事は苦手でキャリアチェンジってどうやってやるのー?と思ってる人
の励みになりますように
だって現場で接客する人って
すごいスキルを持っている!
これしかできない
って本人は思っている人多いけれど
(わたしもそうだったから。)
そんなことなーーーーーい!!!!!!
一つの例として私の話を聞いてください☆
第1話:どん底の冬
学生時代のアルバイト、客室乗務員、正社員を辞めてパートに出た仕事などを含めると、
かれこれ約20年間も
私は「PCとは無縁」「接客しかできない」と
思いながら、仕事をしてきました。
・体を動かしてなんぼ
・現場に出るのが楽しいから!
無理やり自分に言い聞かせていたような面もあります。
20代まではそれでよかったー!
ほんとに。
現場を離れるタイミングは急にきました。
それが
私にとっては
航空会社を辞めて札幌に家族と共に引っ越しが決まったタイミングです。
当時の私は
10年がんばってきた仕事に誇りを持っていました。
だからこそ、
「札幌に行っても客室乗務員としての経験が評価されるだろう」
「意外となんでもできるかも」
なんて思っていました。
でも実は、、
復帰したてで、現場仕事は体力的にちょっときつかったり、
できのいい後輩たちの勢いに少し自信を無くしていたり、、
なんて本音もあったりして、あっさりと辞めてしまったのです。
そして、
そのままの気持ちをもって、ゆるーく転職活動を始めます。
でもここで
私に現実が突きつけられます。
「あなたに一体なにができますか?」
「CAさんっていつも暇そうですよね?」
とある会社の面接で言われました。
PC作業はやったことがない。
電話対応もしたことがない。
名刺交換だってしたことがない。。。
子持ちの女性。
当時のわたしは
ない・ない・ない
ばかりを突きつけられ、自己肯定感・爆さがり。
転職活動自体を諦めました。
全部、自信がなくなったんです。
内定をくださった会社もあったんです。
でも、もはや毎日通勤していく自信すらなかった。
毎日、日本中・世界中を飛び回っていたのに、ね。
それは
仕事だったから。
会社が私に与えてくれていた
偽物の翼。
偽物の自信。
だったんです。
当時は本気でそう思っていました。
転職活動を諦めて主婦として過ごした一冬は
どん底・真っ暗・ネガティブの塊でした。
当時住んでいたマンションから、スーパーの大きな看板が見えていました。
歩いて5分ほどのスーパーです。
お部屋からそのスーパーの看板を見ては
「あー私はあそこにも行けないんだ」
って思ったことを鮮明に覚えています。
札幌は都会です。
でも、当時一歳半の長男を連れて右も左も知らない雪国で私が外出するには
・冬はベビーカーも使えない。
・抱っこ紐をして歩けば、凍った地面で転ぶ。
なにも考えられませんでした。
「わたしには何もできない。」
「働いていなければ自分には価値なんてない」
頭の中はこればかり。
う~ん。。。
過去を思い出して書いていても
なかなかやばい心理状況だったな、と思います。
よく立ち直った!自分!
今では自分をほめてあげられるまで元気になってますw
このどん底の冬を経て、
少しだけ動き出した春が来ます。
続きは第2話で。
想いをカタチに。
あなただけのストーリーを文章化「絵を描くように文章を」
Heart Writting ライター 吉川明子
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