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学問で難しくする必要はない

『歎異抄』 第十二条①

仏教の経典や注釈書を読んで
勉強していない人は
人生を気楽に安心して生きていけるか
そうではないかという件は
語る必要のないことであります

すべてはただ起きているだけという
他力のしくみを説明している様々な仏典は
宇宙のしくみを信じその流れを理解すれば
すべての存在は仏(真理)そのものになるのです

存在していることを楽しみ
泣いたり笑ったりしながらも
人生を謳歌するのに
その他のどんな学問が必要でしょうか
この真理を信じるだけでいいのです

この真理を信じられずにいる人は
しっかり学問することを通して
本願つまり宇宙のしくみとは何なのかを
知る必要があるでしょう

しかし仏典をいくら勉強したとしても
そのしくみを理解できないでいる人は
本当に哀れなことです

文字を読むことができず
経典や注釈書の内容が分からない人が
いずれ思い出し体得し
それを忘れないように唱え続ける
簡単な呪文のようなものなので
「易行(いぎょう)」というのです

懸命に学問をするのが聖道門(しょうどうもん)であり
だからこそ「難行(なんぎょう)」というのです

人生の目的を誤って
学問することで名を上げたい
お金を儲けたいという人は
それで本当にしあわせに生きていけるのか疑われる
という親鸞先生の文献も残っています
(第十二条②へつづく)

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ただ起きている宇宙のしくみを
難しい学問で理解できるのなら
それで結構だが
そうできない人もいるし
勉強しても理解が進まない人もいる

流れからすればどちらも起きているだけで
名誉欲や金銭欲も湧くに任せて
そのままでいいんだろうけど
学問している方が尊いなどと
区別をつける必要はない

ただ「ナムあみだぶつ」とひたすら念じて
人生を謳歌しよう!

って話かな?

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