本来の意味とは違って伝承されている

唯円さんが
『たんにしょう』を残した理由。


念仏って
かなりの勢いだったのかな。

なんまんだぶと唱えて
宇宙の流れを信じること以外に
特別な教えはないけれど

そのココロを
そのまま伝えていくには

口伝や勉強会だけではなく
文書も必要になったのかもしれない

※「自我やエゴが存在する理由」のつづき↓

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 『歎異抄』 第十条


宇宙のしくみを思い出し
それを信じて
本来の自分を生きる
=念仏というものには
特別な教えはありません

言い表したり唱えたり
言葉では説明できない
不思議さを持つ
しくみだからだと
親鸞先生は仰っていました

そもそも
親鸞先生がご存命のころ
志を同じくして
遠く京都まで足を運び

みなで信心をひとつにして
教えを請い

何とか本来の自分のチカラを
取り戻そうと願った仲間たちは
共に親鸞先生の考えを拝聴しました

直接親鸞先生に学んだ
その人たちに従って
宇宙の法則を信じる人は
高齢者から若い人まで
大勢いらっしゃいますが

中には
親鸞先生とは違う考えを
広めている人が多くいると
伝え聞いておりますので

根拠のない考えを正そうと
このように詳しく
書き記しているのです


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誰だって
自分に都合のイイ解釈を
してしまうことは多々ある。


南無阿弥陀仏は
不思議な呪文。


すべての存在の本来の姿を
呼び覚ましてくれる
なんとも表現しづらい

だけど

みんなに
あてはまるしくみ。


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