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追悼五句

追悼五句

追悼・黒田杏子先生

 2023年3月13日(月)、黒田杏子先生急逝。
その二日前、山梨県笛吹市「俳句の里境川 飯田龍太を語る会」で「『山廬』三代の恵み」をご講演。翌日朝食後、温泉へ向かう途中で体調を崩されたのだろうか。倒れてしまわれた石和温泉の旅館から甲府の病院へ。救急車で運ばれてから天に召されるまでは、ご親族と共に付き添われたという飯田秀實(飯田龍太のご長男)さまから、後になり直にお話を伺った。秀實さまは、杏子先生と最後の朝食を共にされている。その時も、ややお疲れ気味ながらふだん通りの食欲とお話しぶりでいらしたそうだ。
短い期間ではあったが、藍生の会員でいられたことを誇りに思う。末席の私にも、実に気さくに、しかし大変厳しく接して下さった。
戴いた書簡もお葉書もお電話も、たくさんの俳句関連の資料も、大切な宝物だ。心残りなのは、コロナ禍、対面の句会や総会がなくなった時期と大半が重なり、俳句結社がどういうものか、あまりわからぬままだったことだ。
俳句界で自分がどんな道を歩いていくのかは模索中だが、これからも杏子先生から拝受したいろいろを時に思い出しつつ、研鑽を積んでいきたい。

〈追悼五句〉

 花冷やまつぶさなまま師は風に
  訃音をきいて、呆然としながら即吟した。

 師は風に辛夷真白き山廬より
  
飯田蛇笏・飯田龍太文学碑 第9回碑前祭俳句会 
  井上康明先生選 秀作

  「藍生」終刊号へ寄稿した追悼三句
 師のしめす道はまつすぐ真菰の芽
 たまつばきこころくばりのたひらかに
 冬すみれ師の愛用のボールペン

はからずも、五句とも植物の季語になった。
杏子先生の一番末席の弟子からのささやかな供花としたい。

念のため、杏子先生が大変な電話魔・手紙魔でいらしたのは有名である。たくさんの形ある宝物は、平等に誰にでも下さっていた。私のようなペーペーでも戴けたのは、そうした特殊な事情による。







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