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頼りないのが自分

とにかく自分は頼りにならない。
いつも過信して、いつも背伸びして、いつもどうにかなると思っている。
何の根拠もないのに。

そんなだから似たような苦しみをいっぱい経験した。
それなのにまだ自分を当てにしているの?
一度立ち止まって、本当の自分がどうなのかをまずは知らなきゃいけない。

過信しているとどこかで事故を起こす

過信している自分はとにかく苦しい。
できると思い込んでいるからそれができなかったとき、とても苦しんでしまう。
上手くいかないことを自分の以外のせいにするのは論外だけど、「失敗しちゃった」なんて笑っている場合でもない。

過信している自分は危険な状態だと気付けないと、本当に大変なことが起きてからでは遅い。

過信するのはこれまで過信するような現実を経験したからだ。
誰かに褒められ、自分の功績が称えられ、最初は謙遜していても、気が付けば「自分はそこそこイケてるヤツなのかもしれない」なんて思ってしまう。
周りからは「調子に乗っている」と見えているのに。

でも、自分では気付けない。
その後もその自分で上手くいけばますます過信を生んでしまう。
過信を生むと勢いがついてしまうから、事故を起こしてしまったとき、勢いが大きければ大きいほど、それは大事故になってしまう。

そこで初めて気付ける。
過信していたのだと。

背伸びしているとどこかで事故を起こす

どんなことでも背伸びをしている自分は苦しい。
背伸びは本来の自分よりも高いところに居ようとすることだ。
本来の自分よりも高いところに上がろうとするのは無理をしている証拠
無理は当然負担が大きいから大変だ。

この背伸びを辞めようとしないと、その後も背伸びのままなんとかしようとしてしまう。
でも、最初から無理をしているからいつまでも続かない。
どこかで無理がたたって大事故を起こしてしまう。

そこで初めて気付ける。
背伸びをしていたんだと。

でも、君は最初から背伸びをしていたわけではない。
背伸びをそそのかすような現実を経験してしまったからだ。
誰かに頼られ、頑張ってでも期待に応えてしまい、いつのまにかできないことをやってしまう無茶なチャレンジ精神を抱えてしまった。
そうすることで自然と背伸びするのが当たり前のような状態になってしまったんだ。
周りからは「無茶をしすぎだ」と見えているのに。

背伸びをしている自分は本来の自分ではない。

どうにかなる精神は事故を起こす

「どうにかなる」、「なんとかなる」と思っている自分は苦しい。
どんなことでも良い結果しか想像していないからいつも結果に振り回されてしまう。
結果に振り回されているのに「次はどうにかなる」と意味がわからない前向きな気持ちを抱えている。

これではただのギャンブル。出たとこ勝負の考え無しだ。

ギャンブルだから当然いつも結果はどうなるのかわからない。
どうなるかわからないのに「どうにかなる」と幻想を抱いている。
幻想はただの幻だからいつも望んだ結果が得られるわけではない。
幻ばかりを追いかけているから目の前の現実が見えていない。
目の前の現実が見えていないから目の前に何かが出てきてとき、事故を起こしてしまう。

そこで初めて気付ける。
「どうにかなる」と思っていただけだと。

でも、君は最初から「どうにかなる」と思っていたわけではない。
どうにかなる現実を経験してきたからだ。
最初は「どうしよう」という状態でも、やってみればどうにかなった。その次もとにかくやってみればどうにかなった。
そんなことが長いこと続いてしまえば「どうにかなる」と思ってしまうのは仕方ない。
でも、周りからは「危なっかしいヤツだ」と見えているのに。

「どうにかなる」という思い込みはただの幻だ。

自分は頼りないものだということを忘れない

過信も背伸びもどうにかなる精神も、自分を危険に晒している。
いつかはどこかで事故を起こしてしまうからだ。
だから何があっても「自分は頼りない」ということを忘れないようにしなければいけない。

誰かに褒められても、「自分はできることをやっただけ」と思えないといけない。
誰かに頼られても「自分にはできません」と言えないといけない。
困ったことがどうにかなっても「今回はたまたま運が良かっただけ」と思えないといけない。

でも、一番大切なのは「自分は頼りない」ということを簡単に忘れてしまうことだ。
何かあれば簡単に「頼りになる自分」になろうとする。目の前の現実に簡単に振り回されてしまう。

これは事故の元になるから注意が必要だ。

自分で自分を当てにしない

「自分は頼りない」ということを忘れないために必要なことがある。
それは最初から「自分で自分を当てにしない」ということ。
自分を一切当てにしないから「自分は頼りない」ということをまず最初に確認できる。
これは自分の感覚を疑うということ。

とくに気持ちが上がっているときこそ自分の感覚を疑わなければいけない。
気持ちが上がっていると簡単に過信や背伸び、どうにかなる精神を生み出してしまうからだ。
そうすれば自分のハンドルをちゃんと自分で握られるようになる。

自分のハンドルを自分で握られれば自分が自分の運転手なんだということがわかる。
そうなれば自分の状態を把握し、視界も開ける。
自分で自分をコントロールすることが可能になる。

訳の分からない思い込みを運転席から降ろし、自分が運転席に座らないと、どこをどう走っているのかはわからない。
もしかするととても危険な場所を走っているかもしれない。
とても危険な走り方をしているかもしれない。

自分で自分を当てにしなければ、どんなときでも一旦立ち止まれる。
立ち止まって自分が運転席にいるかを確認してから走り始める。
自分でコントロールできるから目の前の現実も自分の思ったとおりになる。
これが安全運転。

どれだけ過信しようと、どれだけ背伸びしようと、どうにかなると思っていても、その結果生まれた現実はすべて自分のせい。
だから、自分のハンドルは自分で握る必要がある。

過信や背伸び、「どうにかなる」という思い込みがなければ、一歩ずつ確実に進んでいける。

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